武士の日本史
岩波新書 新赤版 1718
高橋 昌明
2018年5月24日
岩波書店
1,034円(税込)
人文・思想・社会 / 新書
鎧兜に身を固め、駿馬で戦場を駆けめぐり、刀をふるっては勇猛果敢に斬り結ぶ。つねに「武士道」を旨とし、死をも怖れず主君に忠誠を誓うーそんな武士の姿は、はたしてどこまで「史実」か?日本は本当に「武士の国」なのか?長年武士研究を牽引してきた著者が満を持して書き下ろす、歴史学が見出した最新の武士像。
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(無題)
百姓が全て農民とは限らない。侍が全て武士とは限らない。そんなの当たり前だよ、と宣う御仁は、かなりの歴史通である。農民や武士は生業であり、百姓や侍は身分だからだ。つまり、農民でない百姓や武士でない侍が存在したのである。それが、現在私たちが考える武士イコール支配階級、百姓イコール被支配階級と変貌を遂げたのは、秀吉の刀狩り以降である。 本書は武士の成立過程からその発展の歴史を詳細に展望する事で、武士に対する私たちのイメージがいかに史実とかけ離れたものであるかを指摘している。先ずは「武士は芸能人」と定義づけて、読者の度肝を抜く趣向である。「芸能人」とは「芸を能(よ)くする人」のことで、鼓や琵琶の名人だけでなく、様々な人々、例えば手工業者や天文博士などから博打打ちまでが含まれていた。武士は「武芸」に優れた人だから、芸能人なのである。また、私たちは長篠の戦いで武田騎馬軍団に対して織田軍は三段組の鉄砲部隊で大勝利したとも思い込んでいる。ところが当時は「騎馬軍団」の戦闘形態は全く存在していなかったし、当時の火縄銃で「三段組」を作れるわけがないのである。それは元をたどれば旧日本軍の創作戦史であり、さらに江戸時代に作られた娯楽読み物によっているのである。 さらに、本書における恐ろしい指摘は、後半の日本人の精神性を分析した部分である。「武士道」とか「士道」を日本古来のもののように特別視する風潮があるが、そこには歴史的根拠は全くないのである。日露戦争後、過度に精神性を重視した政府のプロパガンダに過ぎないのである。その挙句は亡国の歴史であった。そこはしっかりと見抜いておきたい。
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