
花宴
あさのあつこ
2012年7月31日
朝日新聞出版
1,540円(税込)
小説・エッセイ
代々、嵯浪藩の勘定奉行を務める西野家の一人娘・紀江は、祝言の後も、かつての想い人を忘れることができなかった。うしろめたさに苦しみながらも、慎ましい暮らしを送っていた彼女だが、ある朝、夫から思いも寄らない事実を告げられて…。妻となり、子をなしても、かつての婚約者の面影を追い求める紀江。すれ違う二人に訪れるのは…。夫婦の悲哀を描ききった、感涙の時代小説。
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(無題)
紀江は小太刀の名手である。その腕前は男に生まれていれば家中一の剣士と呼ばれたものを、と剣の師匠・額賀に言わしめたほどである。だからといって、男勝りの偉丈夫を想像しては紀江を見誤る。紀江は母譲りの美貌である。ただ一点、父の血を引いた鼻を除いては。いわゆる団子鼻である。この鼻が紀江のコンプレックスであったが、一方では愛敬のある印象を与えていた。事実、紀江はよく笑い、機転のきく快活な娘であった。 さて、剣の道は心技一如である。紀江の心の師となったのは母・幾代であった。紀江が生涯守り続けた幾代の教えは次のようなものであった。「男の剣は攻撃の為にある。これに対して女の剣は守りにある。だからと女の剣は受けから入る」。紀江の生涯はこの教え通り、受けて受けて最後にしみじみとした満足感に満たされるものであった。 こんな風に書き始めると、本書は剣豪小説かと誤解を招きかねないので、はっきりとしておくが、本書の内容を一言に要約すれば、夫婦の情愛を綴った味わい深い小説である。だから、嫉妬もあれば女の業に身悶えする一面もある。それが剣を通して最終的に一点に収斂し、落ち着くところに落ち着く。 本作を単なる夫婦の情愛を扱った小説以上に厚みを与えているのは、経済政策の違いからくる藩内の権力闘争に絡めて男女の性差を明確に描いている点だ。紀江は想い人・三和十之介が青年期を過ぎて己の地位や暮らしを守るため、真実から目を逸らし、時の流れの中で変質していった姿を目の当たりにした。これに対して紀江は変わることができなかった。何故なら、幾つになろうとも、己より大切なものを抱えていたからである。
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