臨床とことば
朝日文庫
河合隼雄 / 鷲田清一
2010年4月30日
朝日新聞出版
704円(税込)
人文・思想・社会 / 文庫
臨床心理学者と臨床哲学者、偉大なる二人の臨床家によるダイアローグ。「ことば」とは何か。「人間」とは、「人と人との距離」とは。そして「聴くこと」とは。本質的かつ深遠な問題についてやさしく問いかけながら、密接に繋がり合う心理学と哲学のあわいに「臨床の知」を探る。
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(無題)
日常のことばで、生活の中で哲学しようとする鷲田。患者と向かい合い、その世界に入り気持ちを通じ合わせようとする河合。「臨床哲学」と「臨床心理学」の第一人者がことばをかわし合う対談は、とても示唆に富むものだった。例えば、インテグレートとハーモニー、自由と融通無碍、ハッピーとラッキー、これらがどう違うか、またこれらの概念がどの様な精神活動の結果として出来上がったのか。どれをとっても論ずるには、紙幅が足りない。とりわけ、面白かったのは、幸福論である。鷲田は、既に19世紀に哲学的アプローチは終了しており、それ以降はハウツーだと言う。ここでも以下のような命題が成り立つ。「幸福は偶然か努力の結果か」。今の若い人は、幸せは努力の結果、手に入れるものだと思っているようだ。だからしきりと資格を取得したり、スキルを身につけようとする。そう努力すれば必ず幸せになれると信じているようだ。子供の頃から、勉強して試験をクリアーするのは、慣れている。幸せもその延長線上にあるものだと信じて疑わないのだろう。また、こんな指摘もある。魂を求めているが、どうしたらいいかわからないからセックスする。援助交際に走る女子高生は「誰にも迷惑かけていないから、いいじゃないか」と言う。彼女は僕らが青春期にもがき苦しんだと同じく迷っているのだ。もう一つ「日本人は食事という。それはどういうことか。単に物を食っているのは動物なんだ。人間は食事をする。食べることをしている。それが文化というものだ。誰と喰っただとか一緒に食事しましょうとか、食でなくて食事というのが文化の始まりなんや。だから、セックスも本当は性事と言わないといかん。僕は性事学の研究をしたい」梅棹忠夫。
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