
愛しの座敷わらし(下)
朝日文庫
荻原浩
2011年5月31日
朝日新聞出版
616円(税込)
小説・エッセイ / 文庫
座敷わらしの存在に戸惑いつつも、高橋一家は家族の絆を取り戻していく。彼らを目覚めさせたのは、悲しい座敷わらしの言い伝えだった。本当の幸せに気付いた五人は、それぞれに新しい一歩を踏み出してゆく。家族の温かさと強さが心に響く、希望と再生の物語。
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と ととと。
【幸せって何だろう】 シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた 生まれてすぐに こわれて消えた 風、風、吹くな シャボン玉飛ばそ 食品メーカーに勤める一家の主・晃一の左遷で、田舎の築百年もあろうかという古民家に引っ越しをした高橋家。 「何かを我慢すれば、何かが手に入る」 「何かを手に入れるためには、何かを我慢しなくちゃいけない」 左遷は聞こえが悪いけれども、出世の見込みがないのなら、これからは家族との時間をつくろう大事にしよう、そう決心して、大きな一軒家を借りた。ただ、駅まで遠く、予想していたよりも不便な場所だった。家族の時間を作るつもりで借りた家だったが、住まないと分からない不便さが身にしみてジワジワとわかってくる。晃一は予想外に仕事で忙しく、夜は遅いうえに月に二~三回出張もあり土日もいない。 ああ、家でゆっくり。。。 それができるのはいつだろうか。土日の家族との約束も守れたためしがない。せっかく田舎に来たのに。 夫の左遷に辟易する妻。 友達のいない長女梓美。 過保護気味の長男智也。 同居の祖母(認知症気味?)。 家族間の不調和が続く中、家の中で不思議なことが起こり始める。 と、 と、と、と。 と、 と、と、と。 誰かいる。 人影は、想像以上に小さかった。 まだ子ども。子どもの智也が「なんだ子どもか」と安心するくらいの四つくらいの小さい子ども。紺色の着物を着て、ぼさぼさの髪はおかっぱにちょんまげ。 足をパタパタ。ぷぅぅぅぅ。パタパタパタ。ぷぅぅぅぅ。 無邪気にタンポポの綿毛を飛ばしていた。 持っていたけん玉を披露すると 「ふわぁ」 けんや球が宙に飛ぶだけで驚いている。 「ふわぁ」 けん玉に気を取られていたら、いつの間にかいなくなっていた。どこにいったのだろう。 父さんには見えないみたい。 母さんの背中によくおぶさっているけれど、母さんは気がつかない。 お姉ちゃんは、鏡で一瞬影を見てから、怯えている。 バァバは、見える時と見えないときがあるって。 座敷童って言うらしい。 妖怪みたいなもの?幽霊みたいなもの? って言われても、あの姿を見たら、そんなおどろおどろしい者には全く見えない。平和で幸せそうな寝顔。ぷくぷくしたほっぺた。あんまりにもちいさくて守ってやらないと駄目だと思えてしまう。 ある日母さんにも少しだけ見えた。 とてもとても怯えてしまった。 何もすることが出来なくなって、一人でいることができなくなってしまった。 そんなに怯えなくていいということを、知らせたかった。 ほんとに小さな子で悪さなんてしないんだから。 キチンと見たら怖いなんて思えるはずがない。あんなに無防備であんなに可愛らしいのだから。 と、 と、と、と。 と、 と、と、と。 あんなに怖がってた母さんは、座敷わらしの面倒をみようとやっきになった。 果物やお菓子を食べやすい大きさに(小さい子がほおばれる大きさ)して、食べやすいように子ども用のようじまでさして。一日に何度も食べたかしら?と確認し、減ってなくてもお皿の位置が動いていたり、崩れていたりすると、にっこりする。 バァバは昔死んだ弟だと思って、六ちゃん、と呼んでいる。一緒に散歩したり、話しかけたり。なんだか楽しそうだ。 僕は一緒にゲームをやったり、自転車にのったり、けん玉をやったり。けど、お姉ちゃんは、僕が六ちゃんといるところを見ても、僕しかいないように見えるみたいだった。 見える人と見えない人がいる。 見える人でも見える時と見えないときがある。 だけど、存在している。 確かにいるんだ。この家に。 【家族がつながる場所はきっとある】 いつしか、この家は家族それぞれにとって、かけがえのない場所になった。 でも、父さんの仕事の都合で、本社へ東京に帰ることになった。 僕たちがいなくなったら、、、六ちゃんを一人ぼっちになってしまう。 僕は必至で近くの友達の家に、六ちゃんを移そうとした。優しい人たちだから大丈夫と説得し、リュックを背負わせて引っ越しさせようとした。 でも、引っ越し当日、リュックはなくなって。。六ちゃんはいなくなってしまった。 東京へ帰る車の中で、大丈夫だろうか。元気にやっていけるのかな。 頭をよぎるのはそんな心配ばかり。 途中で休憩するのに入ったファミリーレストラン。 「五名です」というと、 「六名様ですね!」と店員さん。 と、 と、と、と。 と、 と、と、と。 振り向くと、おかっぱのちょんまげがちらりと見えた。 ほっとして、心の奥底がじんわりと温かくなって、涙がこぼれた。 【座敷わらし・座敷ぼっこ】 座敷わらしは間引きした子どもの化身と言われています。 潰した子ども…潰すというのは、つまり間引き…ということ。 キレイな言葉で言えば、神様にお返しする。神様にお返しした子どもが、お乳とおんぶの要らない年になってから、この世に返される。今度は悲しい思いをしないように、棲みつく家を裕福にする力を備えて。 座敷わらしがお菓子やおもちゃが好きなのは、それがこの世では手に入らなかったものだから。 でも、赤ん坊の時に命を絶たれた座敷わらしには、その食べ方も遊び方もわからない。それでも興味を示してちょっと動かしてみる。そんな赤子同然の座敷わらし。 ※間引きとは:生まれてきた赤ん坊の命を、親自身が奪ってしまうとものです。昔は今ほど産児制限ができなかったため、子どもがたくさん生まれてきていました。でも昔は今のように生活は豊かじゃなかった。飢饉で一家全員が食べ物に困ることも珍しくなかった。だから仕方なくそうしていたようです。一部の地域だけでなく、全国各地で行われていたことです。
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