エロスと「わいせつ」のあいだ
表現と規制の戦後攻防史
朝日新書
園田寿・臺宏士 / 臺宏士
2016年2月12日
朝日新聞出版
858円(税込)
ホビー・スポーツ・美術 / 新書
「文化」か「犯罪」か?性表現をめぐる問題点を具体例を挙げて明らかにする!日本初の本格的「春画展」が大成功。一方、春画掲載の週刊誌は警察から「指導」を受け、女性器をテーマにした作品で作者が逮捕・起訴された。「境界線」はどこにあるのか?かつては、どうだったのか?斯界の第一人者である法学者と、ジャーナリストが解明する。法で裁かれた文学作品の原文も掲載。
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(無題)
舛添要一東京都知事の高額海外出張費や毎週末ごとの別荘への公用車使用問題の一連のゴタゴタを見ていると、権力志向の強い人間が権力を手中にした時にどのようにして合法的に権勢をふるうのか、が良く分かる。そして、そのみみっちさはいかにも品性の下劣さがにじみ出ている。権力の座を占めると人間は、自らの権勢におごるようになるのであろうか。人間の性のなんと悲しいことか。 わいせつの問題を考える時、権力の視点に立てばこれらが同列にあるように見えてしまう。 ネット経由の情報が人々の生活の隅々にまで浸透する現代では、海外のサーバーを経由すれば性器の露出はおろか性行為そのものの動画も視聴可能だ。そんな時代に公権力が「わいせつ」として取り締まる意味がどこにあるか、はなはだ疑問である。見たい人は見れば良いし、見たくない人は見なければ良いだけのことではないか。そんな極めて個人的な領域に公権力がしゃしゃり出てきて、「ハイ、ここからはわいせつ」と勝手に線引きしてその基準に基づいて取り締まるなど、なんか勘違いしてない?、と思ってしまう。性器にしても性行為にしても煎じ詰めればモノであり運動に過ぎない。そこにエロスがあるとすれば、それは人間の想像力が働いた結果である。人間の頭の中にあるものをどうやって規制するのだろうか。 常識的な人々は社会の秩序を保つためには、一定の規制は必要だ、というかもしれない。しかし、だからと言って公権力での規制が正しいという事にはならない。この国の支配層は、彼らの価値観で国内を統一しようとしているように見える。原発にしても基地にしても安全保障にしても、衣の下の鎧が垣間見える。嫌な時代になったものだ。 さて、肝心の本書の内容であるが、過去に警察沙汰になった絵画・写真展、映画・小説、アートパフォーマンスなどの事例の背景、裁判の様子を具体例をあげて性表現におけるエロスかわいせつかの境目を検証している。そして性表現を取り締まる側の判断でそのわいせつ性が決まり、検挙するかどうかも取り締まる側の裁量の余地が大きいことに警鐘を鳴らしている。
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