森のバロック
講談社学術文庫
中沢 新一
2006年11月10日
講談社
1,650円(税込)
人文・思想・社会 / 文庫
生物学・民俗学から神話・宗教学に精通、あらゆる不思議に挑んだ南方熊楠。那智の森の中に、粘菌の生態の奥に、直観された「流れるもの」とは何か。自然や人間精神の研究の末織り上げられた南方マンダラの可能性とは?後継者のいない南方熊楠の思想、「旧石器的」な思考の中に、著者は未来の怪物的な子供を見出す。対称性理論への出発点となった記念碑的著作。
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(無題)
南方熊楠には師と呼ぶべき人はいない、そして後継者もいない。在野にあって孤高を誇る大学者であったところから、彼の実績や思想が広く知れ渡っているとは言い難い。しかし、熊楠には知的好奇心を刺激する何物かが確かに存在する。本書は中沢新一による南方熊楠論である。論じられる熊楠も論じる中沢も並の人間の持つスケールが役に立たない偉大な存在だ。熊楠の独創性と先進性は現在に至るまで、比肩すべき人が見当たらない。その熊楠を読み解く中沢の博覧強記ぶりには脱帽するばかりか、時として読み続けることを放棄したくなるぼどに難解だ。 第一章はトーテミズムをキーワードに熊楠に迫る。この辺はエキサイティングで知的ワンダーランドを思わせる。これが第二章南方曼陀羅に至ると理解が及ばず、挫折感に苛まれる。それは南方曼陀羅はおろか、曼陀羅そのものを分かっていない私の知的能力の低さに起因する。 勿論、曼陀羅が真言密教にあって仏の悟りの境地や世界観などを視覚的・象徴的に表したものであることを私も知らないではない。それでは、その曼陀羅に接して宇宙の成り立ちや人間の本質について、何らかのインスピレーションを得ることができるかと言えば、否なのである。その点熊楠は思索を重ねた結果、次のような論考結果を得る。 『真言の名と印は物の名にあらずして、事が絶えながら胎蔵大日中に名としてのこるなり。これを心に映して生ずるが印なり。故に今日西洋の科学哲学にて何とも解釈のしようなき宗旨、言語、習慣、遺伝、伝説等は、真言でこれを実在と証せる、すなわち名なり』。これの意味するところを理解できる人は、かなりのものと思われる。私には全く理解の外にある。中沢はこれに対して構造主義の観点から解説を与えるが、これが私の理解にかえって混乱を大きくしてしまう。難解の一言だ。
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