コロボックル物語1 だれも知らない小さな国

講談社文庫

佐藤 さとる / 村上 勉

2010年11月12日

講談社

748円(税込)

小説・エッセイ / 文庫

私たちが、すっと読み継いでいきたい物語。250万人が愛した、日本の小人(コロボックル)の物語、復刊! --びっくりするほど綺麗なつばきが咲き、美しい泉が湧き出る「ぼくの小山」。ここは、コロボックルと呼ばれる小人の伝説がある山だった。ある日、小川を流れる靴の中で、小指ほどしかない小さな人たちが、ぼくに向かって手を振った。うわあ、この山を守らなきゃ! 日本初・本格的ファンタジーの傑作。<全6巻> ◎「久しぶりで本書を読んで感じたのは、これはなんと、純度の高いラヴストーリーそのものではないか、という驚きだった。」<梨木香歩「解説」より> ◎「初版が出て五十一年、いつのまにか本は半世紀を越えて生き、作者の私は八十歳を過ぎてしまった。いくつになろうと、私が作者であるのはまちがいないのだが、このごろはなんとなく自分も、読者の1人になっているような気がする。そして読者としての私も、この再文庫化を大いに喜んでいる。」<佐藤さとる> ◎「これが、僕がコロボックルを描く最後になるかもしれない。」<村上勉>

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Readeeユーザー

(無題)

starstarstarstarstar 5.0 2020年07月28日

クリスマスの朝、目覚めると枕元にこの本が置いてありました。小学校の何年生だったかは忘れました。それ以来この本は私にとって特別な本だったような気がします。 物語は主人公の少年時代からはじまります。 ある日自分だけのもちの木を探して誰も近寄らない小山の方へ入っていった少年は、その奥に秘密の隠れ家のような場所を見つけます。そこは木立に囲まれた三角形の小さな平地で、小さな泉からはきれいな水が湧きだしていました。その場所がすっかり気に入ってしまった少年は、毎日のようにひとりでそこへ出かけていっては、長い時間を過ごすのでした。 ところで、その小山にはひとつの伝説がありました。「こぼしさま」と呼ばれる小人たちが住んでいて、むやみに山を荒らすとたたりがあるというのです。だから今でも人々はあまり近寄らないというのでした。でもその話を教えてくれた行商のおばあさんは、こんなことも教えてくれました。本当はその小人たちはとてもいたずら好きな愛らしい存在で人々からも親しまれていたのですが、いつの頃からか姿を見せなくなったのだそうです。小人たちのことが忘れ去られていくにつれて、「山を荒らすとたたりがある」という伝説だけが残ったのだそうです。 その話を聞いた少年は、ますますその小山が好きになります。 「ぼくの小山はたいしたもんだ!」 そんなある日、少年は小山のそばの小川のほとりで一人の少女を見かけます。流されてしまった彼女の靴を追いかけて、少年が戻ってきたとき少女はもうそこにいませんでした。しかし、その日小川のほとりではじめて出会った少年と少女は、本人たちは知らないままに同じ秘密を共有していたのでした。 その秘密とはもちろん「こぼしさま」のことです。二人は同じときに同じ場所でこぼしさまを見たのでした。 実際にはありそうもないお話が、ふつうの少年の視点でふつうの日常の中に描きこまれることによって、まるで本当にあったお話のような錯覚を読むものに与える、それが佐藤さとるの文学の真骨頂と言えます。 この本でも、小人という非現実な題材を扱いながら、とても作り話とは思えないリアルな世界が描きだされていきます(それには、佐藤さとるとコンビでたくさんの作品を発表している挿し絵画家の村上勉による精緻なイラストも、大きく寄与していると思われます)。森の木陰で陽気に踊る戯画化された小人とは異なり、また魔法を使う妖精のような存在とも違って、佐藤さとるが描く小人の国にはしっかりとした社会機構があり、何より生活があるのでした。 こうした佐藤さとるの特質は、「ツバメ号とアマゾン号」シリーズで知られるイギリスの作家アーサー・ランサムにも通じるものがあります。ツバメ号シリーズを翻訳した児童文学者の神宮輝夫は、「だれも知らない」の解説でこの両者を比較していますが、ランサムもまた世界中の少年少女に物語の主人公や舞台となった湖を実在と信じこませた作家でした。 さて、物語はそれから戦争をはさんで、主人公の青年時代へと移っていきます。 小山のある町に帰ってきた彼は、ひさしぶりに昔なじみの場所を訪れます。小山と彼の秘密の場所は何も変わらず、昔のままにそこにありました。彼はこの場所を自分のものにすることを決意します。 小山の持ち主を探しあてた主人公は、その家に通い詰めるうち、そこの当主である「峯のおやじさん」とすっかり仲良くなり、将来小山を譲ってもらう約束を交わすほどになっていました。 一方、彼が調べたところ「こぼしさま」にあたるような伝説は日本には見あたりませんでした。その代わり、彼はアイヌの伝説に「コロボックル」という小人の名前を見つけます。辞書にはこうありました。 コロボックル アイヌ語(ふきの葉の下の人の意味) 1. アイヌの伝説に出てくる小人のこと。 2. またはその伝説をもとにして、アイヌが住みつく前から、北海道に住んでいたと考えられる小人種の名。 「これだ」と主人公は叫びます。それから彼は小人たちのことを「コロボックル」と呼ぶことにします。 主人公は、峯のおやじさんに相談し、小山に小屋を立てる計画を立てます。おやじさんも乗り気でいろいろと便宜を計らってくれました。 そんなある日、主人公のところに、ついに小人たちが姿を現します。 現れたのは、若い三人のコロボックルでした。早口の彼らの言葉は、普通に聞くと「ルルルルッ」としか聞こえないのですが、ゆっくり話せば普通の日本語になるのでした。 彼らによると、コロボックルたちはずっと「味方」を探していたのだそうです。昔人間にひどい目にあったコロボックルたちは、長いあいだ人目を避けて暮らしてきたのですが、逆に人間の中に味方をもつことの必要性を痛感 し、それにふさわしい人間を何代にもわたって探してきたのでした。 そして彼らが目をつけたのが主人公だったというわけです。彼らは少年だった主人公に一度だけ姿を見せ、彼がその後どんな行動に出るかをずっと観察していたのでした。だから、戦争が終わって主人公が小山にふたたび姿を現したとき、コロボックルたちの国は大騒ぎになったのだそうです。 それから物語は、主人公とコロボックルの出会いを縦糸に、主人公とあの少女との出会いを横糸に織りなしながら、進んでいきます。 やがて主人公とコロボックルたちの前に立ちはだかってくるのは、小山を取りつぶす高速道路建設計画でした。彼らがその危機をどう乗り超えていくのか、それは読んでのお楽しみとしましょう。 この本のあとがきで佐藤さとるは次のように述べています。 しかし、ほんとうのことをいうと、わたしがこの物語で書きたかったのは、コロボックルの紹介だけではないのです。人が、それぞれの心の中に持っている、小さな世界のことなのです。人は、だれでも心の中に、その人だけの世界を持っています。その世界は、他人が外からのぞいたくらいでは、もちろんわかりません。それは、その人だけのものだからです。そういう自分だけの世界を、正しく、明るく、しんぼうづよく育てていくことのとうとさを、わたしは書いてみたかったのです。 この作品が出版された当時、批評家の多くは、「小山」を主人公が戦前・戦中・戦後を通じて守り抜いたものの象徴として理解し、受け止めたそうです。また、作家・批評家の古田足日はこう述べています。 「だれも知らない小さな国」は、主人公がほぼ労働者階級に属するのに、その思想一般は階級的自覚に基づくより、個の主張、個に内在する価値体系の確立に基礎をおいた点で、自分のめざす子どもの文学と相違する、と。 しかし、恐らくこうした専門家の受け取め方のいずれともまったく関係のないところで、「だれも知らない小さな国」は読者に受け入れられ、100万部を超える圧倒的な支持を得ました。それが意味するのは、読者にとって大事なのはその作品がどんなメッセージを持つかではなく、その作品が共感に値するかどうか、ただそのことだけだということです。 物語の価値を何らかのイデオロギー、何らかのキッチュ、何らかの記号に置き換えてしまうのではなく、物語を物語として読むこと。その世界を味わいつくし、その世界にしばらく身を置いてみること。 物語を読む、と言うよりも物語を生きる、と言う方が近いかもしれません。その世界をほんとうの世界として生きてみること、歩き、見、恐れおののき、安堵すること、そこにこそ物語の最も豊かな読み方があるのだと思います。 そうして生きられた世界こそが、誰もがこころの中に持っている自分だけの世界を形づくっていくのだと思います。 この作品は1959年に私家版で発表され、つづいて講談社から出版されました。その後「豆つぶほどの小さないいぬ」(1962年)、「星からおちた小さな人」(1965年)、「ふしぎな目をした男の子」(1971年)と続編が出され、コロボックルたちのその後の活躍が描き出されていきます。 そのいずれの作品においても、細部に神経を行き届かせ、物語を生き生きとふくらませる佐藤さとるの筆致にはますます磨きがかかって飽きさせません。もうひとつ、「誰も知らない」でも垣間見えていた、理工系出身の作者ならではの工学的なこだわりがこれらの作品では存分に発揮されています。「豆つぶ」ではコロボックル新聞の輪転機、「星からおちた」では一人乗りの小さなヘリコプター、「不思議な目」ではけがをしたコロボックルが捕らえられる手回し鉛筆削り機、という具合です。村上勉の精緻なイラストがそれに色を添えてくれます。 コロボックルシリーズは第五話となる「小さな国のつづきの話」(1982年)で完結します。これ以外に短編集「コロボックル童話集」(1982年)、「小さな人のむかしの話」(1987年)があります。また、1973年から1974年にかけては「冒険コロボックル」のタイトルでテレビアニメ(日本テレビ系列)にもなりました。全26話だけですから、本とは違ってそれほどヒットしなかったのでしょうかね。 シリーズのいずれもいい作品で私は何十回となく読みましたが、必ず戻ってくるのはやはり「だれも知らないちいさな国」でした。そこにある少年の日のひみつの場所と、ひみつの時間が、私を含むすべての読者を引きつけて離さないのではないかと思います。

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