
物理学と神
集英社新書
池内了
2002年12月31日
集英社
836円(税込)
科学・技術 / 新書
「神はサイコロ遊びをしない」と、かつてアインシュタインは述べた。それに対し、量子論の創始者ハイゼンベルグは、サイコロ遊びが好きな神を受け入れればよいと反論した。もともと近代科学は、自然を研究することを、神の意図を理解し、神の存在証明をするための作業と考えてきたが、時代を重ねるにつれ、皮肉にも神の不在を導き出すことになっていく。神の御技と思われていた現象が、物質の運動で説明可能となったのだ。しかし、決定論でありながら結果が予測できないカオスなど、その後も神は姿を変えて復活と消滅を繰り返し、物理学は発展し続けている。神の姿の変容という新しい切り口から、自然観・宇宙像の現在までの変遷をたどる、刺激的でわかりやすい物理学入門。
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(無題)
私みたいに根っからの文科系人間にとっては、書名が魅力的に思える。ちんぷんかんぷんの物理学に馴染めるキッカケとならないかと思ったのだ。ところで、れっきとした物理学者が「神」とか「永久運動」だとか「錬金術」の本を書くなんて、普通は怪しげなことである。なぜ平気でそんな事ができるかと言うと、ひとつには著者が物理学のなんたるかを分かりやすく素人に説明できるほどの泰斗だからである。もうひとつには、科学の目的と神を想定したこととは根底においてどこかでつながっているからなのだ。 そもそも科学は「自然現象がなぜそのようになっているか」には答えていない。科学は「自然はそのようになっているだろうことを証明している」にすぎない。それは神は自然をこのように作り賜うたと言っていることと、そんなに違わない。実際に西ヨーロッパ社会がつくりあげた近代科学は、神が書いた“もうひとつのバイブル”を数学の言葉で自然を相手に書き上げようとしたものに過ぎなかった。このように本書では、神の存在証明としての科学から、神の不在証明としての科学、そして変貌しては現れる神の御姿。時代時代で翻弄される科学者たちを透かして、物理学の歴史を見せてくれる。 ともあれ、残念な事には私のような門外漢には遠く理解の及ばない世界であった事を正直に告白しておこう。なお、本書は2002年の発行であるが、著者は第四章で核エネルギーについて、以下のように述べており、印象的だったので引用しておきたい。 元素のレベルで見れば、私たちは「星の子供」であり、星の大爆発を経験してきたと言える。核エネルギーは、様々な生物の種を作り出した神の手になぞらえられるかもしれない。とすると、私たちには、私たちを構成する元素を通じて、核エネルギーの激しさの記憶が刻印されていると言うのも言い過ぎではないだろう。一方、核エネルギーの膨大な破壊力は、地球の論理とはなじまないことを付け加えておきたい。地球上で起こっている全ての生命現象や人間の活動は、原子の世界の出来事である。電気力で原子がくっ付いたり離れたりする反応(化学反応)が、これら地球上の営みの基本なのだ。化学反応は1000度以下ですすみ、私たちは化学反応利用して様々な機械や道具を作ってきた。つまり、原子力の利用とは、化学反応による1000度の技術で、1000万度に相当する核反応を制御しようというものなのである。そもそも、化学反応の1万倍ものエネルギーを持つ核反応は、生命活動とは本質的に矛盾するものである。その意味で、地球における核エネルギーの利用は、悪魔の誘惑なのかもしれない。
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