東海村・村長の「脱原発」論

集英社新書

村上達也 / 神保哲生

2013年8月21日

集英社

814円(税込)

科学・技術 / 新書

あの三月一一日、茨城県東海村にも津波は押し寄せ、東海第二の原発も大半の電源を喪失。フクシマ寸前の危機を迎えていた!村長が事故の全容を知らされたのは半年後。危機は隠蔽されていたのだ。原発容認派だった村長は積極的な反対派に転じ、政府に対して東海第二原発の廃炉を要求し始めた。しかし、日本で最も古くから原子力産業の恩恵を受けている東海村は、村の予算そして雇用の三分の一を原子力産業から得ている…。原発立地自治体の首長の苦悩を気鋭のジャーナリストが聞き出し、地方VS中央のあり方について考えた。

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3.5 2018年01月27日

村上達也は「脱原発首長」として知られる。本書は、そんな村上に神保哲生がインタビューしたものだ。日本初の原子力発電に成功した東海村は、原子力発祥の地と呼ばれる。村上は村長在任中、燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)臨界事故や東京電力福島第1原発事故を経験し、当初の「原発との共存」から「脱原発」へと主張を変えた。「脱原発をめざす首長会議」に参加し、世話人を務めている。 村上は東北大震災を振りかえって、津波があと70センチ高かったら、震源地があと100キロ南だったら、福島第一のような全電源喪失に陥っていた可能性が強かったと語る。この時、村上には核燃料加工施設・JCOで起きた臨界事故の記憶が蘇ったという。作業員2人が死亡し、周辺住民を含め700人近くが被曝した惨事だ。臨界事故の後に原子力安全・保安院が設置されたが、人や組織、法制度、文化といった社会的な制御体制が必要だったはずなのに、国や電力業界に反省はなく、さらなる安全神話づくりに努力しただけだった。その結果が福島の事故だった。 「この国には原発を所有する資格も能力もない」と不信感を強くしたのは、「ただちに影響はない」といった発言に象徴されるように、国に住民を守る視点が見られなかったからだ。海江田万里経産相(当時)の「安全宣言」でいよいよその感を強くし、脱原発を公言するようになった。 このように村上が脱原発に傾く経緯も興味深いが、本書が類書から群を抜いているのは、有る意味での日本人論、日本文化に言及している点である。事は科学技術に関することなので、抽象的な文化論にすり替えるべきではないが、戦中派の村上が「陸軍の一部エリートがロジスティクスを無視し戦線を拡大して、戦死者200万人のうち、6割が餓死者という何ともやるせない結果を招いた状況が、現在の原子力ムラのありようによく似ている」との指摘は思わずドキっとさせられる。何故、あれほどまでに情報を隠蔽して安全神話を国民に押し付けるのか、原発はやめようと思えばやめられるのに、なぜ頑なに原発再開を主張するのか、そこには損得意外の要素があるように思えてならない。 長い間、原発問題を取材し続けてきた神保が本書で漏らした独り言が気にかかるるので、以下に転載しておく。 『多くの日本人ができることなら原発は無くしたいと考えている。しかし、同時に多くの日本人が、「でも多分日本は原発を止められないだろうな」と感じているように見える。その無力感やあきらめ感こそが、今の日本にとっては原発そのものをどうするかよりも、より大きな問題であるように私には思えてならない』

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