資本主義の終焉と歴史の危機

集英社新書

水野 和夫

2014年3月31日

集英社

902円(税込)

ビジネス・経済・就職 / 新書

資本主義の最終局面にいち早く立つ日本。世界史上、極めて稀な長期にわたるゼロ金利が示すものは、資本を投資しても利潤の出ない資本主義の「死」だ。他の先進国でも日本化は進み、近代を支えてきた資本主義というシステムが音を立てて崩れようとしている。一六世紀以来、世界を規定してきた資本主義というシステムがついに終焉に向かい、混沌をきわめていく「歴史の危機」。世界経済だけでなく、国民国家をも解体させる大転換期に我々は立っている。五〇〇年ぶりのこの大転換期に日本がなすべきことは?異常な利子率の低下という「負の条件」をプラスに転換し、新たなシステムを構築するための画期的な書!

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Tojo Hiroyuki

脱成長、定常の世界について想像する

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3.7 2022年04月06日

これはいい本に出会った。もともと内田樹さんの本の中で引用があったのがきっかけ。 資本主義の限界の理由が分かりやすく説明されている。 ゼロ金利(今はマイナス金利)は資本主義(資本)が飽和に達したことの証明とわかりやすい。投資先を失った資本が向かった先は金融、実態制限の少ない世界というのも実感どおり。またグローバル経済による財政政策の効果がなくなったこと、中世なら無限とも思えた世界にも地理的、エネルギー的にも限界が見えてきたこと。 またテクノロジーでその速度が早まってるだろうなあとも思う。資本が金融へ向かうほど雇用へ投資が減るのもわかる気がする。人を扱う部分の投資効率が悪すぎってことかな。 持てるものが富む世界。アベノミクスとか格差を広げるやばい結果になるね。悪手やね。実態のある人間の雇用あっての経済。 さらには格差つーか資本家のみが成長する世界は民主主義を捻じ曲げてる行為。民主主義の経済的な意味とは適切な労働分配率を維持すると言う事。企業利益と所得の乖離が明確な現代。自由主義的な政策を進めることでさらにそれが悪化している。 その前段として資本主義とは、とか、資本主義の向かう先、 なんてか、普通の議論よりメタなところに当たってる感じ。 資本主義の膨張し続けるところとか、中心/周辺の考え方などいろいろ広がりと見え方が変わる読後感。

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kojongsoo8318

자번주의의 종연과 역사의 위기

starstarstarstarstar 5.0 2020年07月31日

Readeeユーザー

(無題)

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3.7 2018年01月25日

当たるも八卦当たらぬも八卦と、人々を煙に巻く小賢しい理屈をこね回して言説を垂れ流して原稿料や印税を稼ぐ経済学者やエコノミストが数多く見受けられる。そんな中で水野は信頼に値する数少ないエコノミストだ。水野の生真面目な人格が信頼を裏切ることはない、と明言しているようだ。 先ず、水野が資本主義は終わりを遂げ、現在は歴史的転換期にあるとの認識を抱くのは何故なのか。この論考の理解を深めるためには、フェルナン・ブローデルの「地中海」を読む必要があろう。かくいう僕は「地中海を読む」で済ませているが。ブローデルが中世封建主義から近世資本主義への経済システムの転換期に見い出だした経済指標が、利子率であった。利子率が2パーセントを下回ると投資に見合うリターンが望めないので、経済の中心地は新たなフロンティアを求めて移動する、というものだ。普通、僕たちは資本主義は19世紀に起きた産業革命以降と考えているが、ブローデルは16〜17世紀の海洋国家ジェノヴァからと説く。国中の開発が進み、最早投資対象が見当たらなくなった時、次の覇権国家スペインへと経済の中心地が移動した。この時の利子率が2%。同様にオランダ、イギリス、アメリカへと覇権国が移動した。 この歴史は一方では周辺から中心への収奪の歴史でもあった。新たな周辺を求めての移動でもあったのだ。そして現在では、収奪の対象となる地理的・空間的フロンティアは地上からほぼ消滅し、アメリカは電子・金融空間をニューフロンティアとしたのだった。中心と周辺を組み替えた結果、収奪の対象は自国内の貧困層、中間層へと向かい、格差社会を招聘するところとなった。これをグローバリズムという。 円安誘導による輸出型製造業が我が国の経済のを誘引する、金融緩和によって設備投資を促す、積極的財政出動で景気を刺激する、その結果企業は利潤を得て、雇用者の賃金も上昇し、国全体が豊かになる、これが財界指導者や政治家が描く経済政策である。何より経済学者の9割は成長=善だと信じて疑うことがない。その中で水野は本書で、資本主義の終焉を明言するのである。 本書が版を重ねて人々に読まれる背景には、もう右肩上がりの経済成長は望むべくもないとの人々の予感があるのではないだろうか。20世紀の資本主義は富を人々に分配し、豊かになった人々は中流層を形成し、彼らの旺盛な消費活動はさらなる需要をうみだすのだった。ところが、新自由主義の名の元にマーケットこそ見えざる神の手であるとする資本主義は強欲資本主義と化すところとなった。私たちのなかに次なる経済システムを待望する時代の気分があるのではなかろうか。 2014年10月20日 9:51:47 の変更内容が競合しています: 資本主義の終焉と歴史の危機 当たるも八卦当たらぬも八卦と、人々を煙に巻く小賢しい理屈をこね回して言説を垂れ流して原稿料や印税を稼ぐ経済学者やエコノミストが数多く見受けられる。そんな中で水野は信頼に値する数少ないエコノミストだ。水野の生真面目な人格が信頼を裏切ることはない、と明言しているようだ。 先ず、水野が資本主義は終わりを遂げ、現在は歴史的転換期にあるとの認識を抱くのは何故なのか。この論考の理解を深めるためには、フェルナン・ブローデルの「地中海」を読む必要があろう。かくいう僕は「地中海を読む」で済ませているが。ブローデルが中世封建主義から近世資本主義への経済システムの転換期に見い出だした経済指標が、利子率であった。利子率が2パーセントを下回ると投資に見合うリターンが望めないので、経済の中心地は新たなフロンティアを求めて移動する、というものだ。普通、僕たちは資本主義は19世紀に起きた産業革命以降と考えているが、ブローデルは16〜17世紀の海洋国家ジェノヴァからと説く。国中の開発が進み、最早投資対象が見当たらなくなった時、次の覇権国家スペインへと経済の中心地が移動した。この時の利子率が2%。同様にオランダ、イギリス、アメリカへと覇権国が移動した。 この歴史は一方では周辺から中心への収奪の歴史でもあった。新たな周辺を求めての移動でもあったのだ。そして現在では、収奪の対象となる地理的・空間的フロンティアは地上からほぼ消滅し、アメリカは電子・金融空間をニューフロンティアとしたのだった。中心と周辺を組み替えた結果、収奪の対象は自国内の貧困層、中間層へと向かい、格差社会を招聘するところとなった。これをグローバリズムという。 円安誘導による輸出型製造業が我が国の経済のを誘引する、金融緩和によって設備投資を促す、積極的財政出動で景気を刺激する、その結果企業は利潤を得て、雇用者の賃金も上昇し、国全体が豊かになる、これが財界指導者や政治家が描く経済政策である。何より経済学者の9割は成長=善だと信じて疑うことがない。その中で水野は本書で、資本主義の終焉を明言するのである。 本書が版を重ねて人々に読まれる背景には、もう右肩上がりの経済成長は望むべくもないとの人々の予感があるのではないだろうか。20世紀の資本主義は富を人々に分配し、豊かになった人々は中流層を形成し、彼らの旺盛な消費活動はさらなる需要をうみだすのだった。ところが、新自由主義の名の元にマーケットこそ見えざる神の手であるとする資本主義は強欲資本主義と化すところとなった。私たちのなかに次なる経済システムを待望する時代の気分があるのではなかろうか。 2014年10月20日 9:51:47 の変更内容が競合しています: 資本主義の終焉と歴史の危機 当たるも八卦当たらぬも八卦と、人々を煙に巻く小賢しい理屈をこね回して言説を垂れ流して原稿料や印税を稼ぐ経済学者やエコノミストが数多く見受けられる。そんな中で水野は信頼に値する数少ないエコノミストだ。水野の生真面目な人格が信頼を裏切ることはない、と明言しているようだ。 先ず、水野が資本主義は終わりを遂げ、現在は歴史的転換期にあるとの認識を抱くのは何故なのか。この論考の理解を深めるためには、フェルナン・ブローデルの「地中海」を読む必要があろう。かくいう僕は「地中海を読む」で済ませているが。ブローデルが中世封建主義から近世資本主義への経済システムの転換期に見い出だした経済指標が、利子率であった。利子率が2パーセントを下回ると投資に見合うリターンが望めないので、経済の中心地は新たなフロンティアを求めて移動する、というものだ。普通、僕たちは資本主義は19世紀に起きた産業革命以降と考えているが、ブローデルは16〜17世紀の海洋国家ジェノヴァからと説く。国中の開発が進み、最早投資対象が見当たらなくなった時、次の覇権国家スペインへと経済の中心地が移動した。この時の利子率が2%。同様にオランダ、イギリス、アメリカへと覇権国が移動した。 この歴史は一方では周辺から中心への収奪の歴史でもあった。新たな周辺を求めての移動でもあったのだ。そして現在では、収奪の対象となる地理的・空間的フロンティアは地上からほぼ消滅し、アメリカは電子・金融空間をニューフロンティアとしたのだった。中心と周辺を組み替えた結果、収奪の対象は自国内の貧困層、中間層へと向かい、格差社会を招聘するところとなった。これをグローバリズムという。 円安誘導による輸出型製造業が我が国の経済のを誘引する、金融緩和によって設備投資を促す、積極的財政出動で景気を刺激する、その結果企業は利潤を得て、雇用者の賃金も上昇し、国全体が豊かになる、これが財界指導者や政治家が描く経済政策である。何より経済学者の9割は成長=善だと信じて疑うことがない。その中で水野は本書で、資本主義の終焉を明言するのである。 本書が版を重ねて人々に読まれる背景には、もう右肩上がりの経済成長は望むべくもないとの人々の予感があるのではないだろうか。20世紀の資本主義は富を人々に分配し、豊かになった人々は中流層を形成し、彼らの旺盛な消費活動はさらなる需要をうみだすのだった。ところが、新自由主義の名の元にマーケットこそ見えざる神の手であるとする資本主義は強欲資本主義と化すところとなった。私たちのなかに次なる経済システムを待望する時代の気分があるのではなかろうか。

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