丸山眞男と田中角栄
「戦後民主主義」の逆襲
集英社新書
佐高信 / 早野透
2015年7月17日
集英社
814円(税込)
人文・思想・社会 / 新書
軍国ファシズムを告発した戦後民主主義の思想的支柱・丸山眞男と、憲法改正には目もくれず民衆の生活向上に邁進した“コンピューター付きブルドーザー”田中角栄。辺境の少数者や、共同体のはぐれ者まで含めた、庶民が担うデモクラシーこそ政治の根幹であるとし、戦争体験とその悔恨を原点に、戦後日本を実践・体現した二人の足跡を振り返る。右傾化への道を暴走する安倍政権が「戦後レジームからの脱却」を唱える今こそ、国家による思惟の独占を阻み、闘い続けるための可能性を問う、闘争の書。
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(無題)
二分法は分かりやすい反面、乱暴に過ぎる面は否めない。しかし、ここは分かりやすさを優先したい。先の敗戦をどう感じたかによって日本の指導者を二分するのだ。1つは「失敗した」と思った一群、もう一方には「やるべきではなかった」と考える人々である。前者は「俺だったらもっと上手くやったのに」と思う人で岸信介や中曽根康弘を代表とする。民を統治の対象とする指導者でもある。現在の安倍晋三もこの系譜に属する。また後者は戦争を善悪で考える人々で、これに属する代表的な政治家は、石橋湛山、三木武夫、田中角栄である。角栄側近の政治家に後藤田正晴がいた。警察官僚出身であったが、権力の手先となって庶民をいじめることは終生なかった。だから、筑紫哲也をして「護民官」と言わしめた。民を統治するのではなく護る。そんな後藤田が角栄に民とともにある、民の代表者、民主主義の匂いを感じた。だから行動をともにしたのだろう。 本書で取り上げられている田中角栄と、丸山眞男、どう見ても水と油のような2人であるが、実は居場所を同じくしている。本書は、戦後日本の民主主義を形作った頭脳・丸山眞男と下半身・田中角栄を論じることで、曲がり角にある現在の民主主義に軌道修正を迫る書である。 日中国交正常化、日本列島改造、金権政治家で知られた田中角栄が戦後民主主義の体現者?。にわかには信じられないが、本書の対談者、佐高 信と早野 透は丁寧にこの点を検証してみせる。例えば、列島改造を例にとると、角栄は「新憲法の趣旨にのっとり、道路法を改正する」と高々に宣言する。どういうことかというと、旧道路法で定められている国道とは、東京を中心として、そこから神宮、府県庁所在地、師団の司令部の所在地、鎮守府の所在地をつなぐ道路のことだった。つまり国道の意味は第一に天皇であり、第二には軍事と言うことであったのだ。それを角栄はあっさりと否定した。角栄は国道を交通の発達に寄与し、公共の福祉を増進するものとしたのだった。 安倍の「戦後レジームからの脱却」は、丸山と角栄をひっくり返すということで、戦後的価値、すなわち平和主義、公共の精神、弱者保護を終わりにすることである。本書はこれに警鐘を鳴らしている。
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