失われた町

集英社文庫

三崎亜記

2009年11月30日

集英社

785円(税込)

小説・エッセイ

ある日、突然にひとつの町から住民が消失したー三十年ごとに起きるといわれる、町の「消滅」。不可解なこの現象は、悲しみを察知してさらにその範囲を広げていく。そのため、人々は悲しむことを禁じられ、失われた町の痕跡は国家によって抹消されていった…。残された者たちは何を想って「今」を生きるのか。消滅という理不尽な悲劇の中でも、決して失われることのない希望を描く傑作長編。

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-- 2019年12月25日

三崎亜記「失われた町」

大切なものが、理由もなく失われるとしたら。 守りたいものが、一瞬で失われるとしたら。 それに抗おうとするのは、正しいことなんだろうか? 人の命は、いつか必ず消えてしまうものだ。それは、真理であり、避けがたいものだ。死と呼ばれるものに抗おうとする意思は、太古の昔から連綿と受け継がれているが、それは恐らく正しくないことだろう。死を迎えることは、自然そのものであり、抗うべきものではないのだと思う。 しかし、死ではない形で存在が失われるとしたら、どうだろうか? 町が人を失わせる、のだという。 それには、人間の理解しうるようなどんな理由もない。町が意思を持ち、その意思でもって、町に住む人間を消滅させる。それは、必ず起こる現象で、避けられないと思われるもので、諦めざる終えないものだ。それは、死に似ているのかもしれない。 しかし、いくらそれが自然の法則であるとは言え、死以外の形で存在が奪われてしまうのは、耐えがたいものだろうと思う。 例えば、植物状態に陥った人を考える。これは、死ではない。しかし、死ではないくせに、存在が失われてしまっている。この場合、肉体は残ることになるが、それは大きな違いではないだろう。肉体が残って触れることが出来るか、あるいは記憶の中だけでしか反芻できないかの違いであって、存在そのものが失われていることには変わりはないのだ。 そう考えれば、僕らが生きる世界にも、死以外の形で存在が失われてしまうことはありうる。それを受け入れなくてはならない人々は、一体どのようにして自分の気持ちを抑えるのだろうか。 空白を抱えて生きていくという感覚は、僕にはなかなか理解することが難しい。それは、僕が意識的に、大切なものをあまり持たないようにしよう、と心がけていたからかもしれない。 失うことを極端に恐れているのだと思う。あるいは、裏切られることを。期待や信頼を過剰に抱かず、大切な存在というものを極力制限することで、僕は自分を守ってきたのかもしれない。それは、大切なものを失うことと比べて、どちらが不幸だろうか。 僕らは、あまりに恵まれすぎているために、大切な存在がそこにあるということに対して、特別に思ったりすることはない。しかし、失われるかもしれない、という前提がそこにあればこそ、大切な人をより大切な存在として見ることが出来るようになるのかもしれない。 いずれにしても、町によって大切な存在を奪われる世界は、哀しみの調べに満ちている。それが常態となった世界に生きる人々は、様々な思いを抱えて人生を生きている。 そろそろ内容に入ろうと思います。 まずは、その世界設定から。本作で描かれる世界は、僕らの住む世界とは大分異なった世界です。 30年に一度、町が消滅する。 町というものが意思を持った世界だ。町はその意思で持って、町にいる人間を消滅させる。一人残らず、すべての人が、その町から失われてしまう。 町による消滅と戦うのが、管理局である。管理局は、過去のデータや様々な兆候から、次に消滅する町を見出し、それを阻止するという使命を持っている。しかし、その成果ははかばかしいものではない。消滅する町が確定できるのは、その数日前。その段階で住人を非難させても、汚染を拡大し、消滅の範囲を広げるだけで、有効な対策は取れない。 勢い管理局の仕事は、町の消滅という汚染から、人々の生活を遠ざける、後追いのものになっていく。 失われた町から、その町に関する情報をすべて処分する。また、その町にかんする情報の載った書籍や電子情報も検閲し、必要であれば消去する。その上で、その町が初めからなかったという風に認定され、汚染地域として立ち入りが禁じられる。 町の消滅によって大切な人を失った人々は、しかしその焼失を嘆くことは許されていない。町は、その哀しみを嗅ぎ分けて、汚染をさらに広げようとするからだ。そのために、汚染の話題は巷間ではタブーとなり、管理局を初め、汚染に関わる人々や土地などを酷く嫌悪するようになっていく。 そんな、町の消滅という事態によって多くのことが制限されている世界が舞台である。 物語は、いくつかのエピソードに分かれている。登場人物が重なったり、あるいは新しい人物が出てきたりという感じで、長編というよりは、連作の短編集というような印象を受ける。また、十数年という長い年月を描いている。 消滅後の町の回収人に選ばれた茜と信也。「風待ち亭」というペンションを営む中西さん。町の消滅により、将来を誓い合った存在だった潤を失った、由佳。管理局で働く白瀬。カメラマンの脇坂。町の消失から逃れた稀有な存在である画家の和宏。「別体」である妻を持った英明とその子供ひびき。高校生で、同級生である由佳と関わることになった勇治。前回の消失の際に唯一残った、「消滅耐性」による生き残りであるのぞみ。 そうした様々な人間が、町の消失という現実を背景にして生きるその人生を切り取っていく。それぞれに抱えるものを持ち、それぞれに不確かなものを支えながら、どこまでも続く町の消滅という事態に抗っていく姿を描く物語です。 というような話です。 あの「となり町戦争」という傑作を書き、続く「バスジャック」でも特異な世界観を描き出して見せた三崎亜記の最新刊ということでかなり期待したのですけど、ちょっと僕にはダメな作品でした。 僕はどうしても、町の消滅という事態に入り込むことが出来なかったですね。その世界に生きる人々の生き方というのは様々でそれなりに面白いとは思うのだけど、彼らすべての背景にあるその消滅というものについて、なかなかきちんと受け入れることができなくて、だから物語としてうまく消化することが出来ませんでした。 でも、設定は、大胆にして緻密であって、そこに生きる人々の抗いというようなものにも深いものを感じるので、読む人によっては素晴らしい作品なんだろうと思います。つまり、評価が大きく分かれる作品でしょうね。例えば僕は、「となり町戦争」を傑作だと思いましたけど、あの作品がダメだという人もいるでしょうし、僕はこの「失われる町」はちょっとダメでしたけど、こっちの方が傑作だ、というような人もいるだろうな、とは思います。 ただ、僕の考えを言わせてもらえれば、三崎亜記という作家の魅力は、「日常の中の非日常」というその世界観を見事に描き出している、というところだったと思います。 でもこの作品は、町の消滅というものに関わる本作の登場人物にとっては「日常の中の日常」だし、それに関わることのない読者の僕らにとっては「非日常の中の日常」という感じで、だからこそそれまでの三崎亜記の持ち味というものがうまく生かされていないのではないか、という風に感じました。 また特にこの作品を読んでいて難しかったのは、その町の消滅そのものです。町の消滅、という、読者にはもちろん馴染みのない現象について、あまりにも説明されすぎない、と思うのです。読んでいく内にだんだん分かっていくこともあるのだけど、でも読み始めは、わからない用語や状況などが頻発して、どういうこと?という疑問が絶えず付きまとっていたような気がしました。もちろん、多くを説明するのは野暮ったいとは思うんですけど、でもちょっと説明が足りないかな、という風にも思います。 でも、世界設定は大胆にして緻密で、その点は素晴らしいものがあると思います。わからない用語などたくさんあるとしても、かなり細かいところまであらゆることを考えているようだし、また「分離者」だとか「居留地」など、町の消滅とは関係のない他の設定も様々に出てきて、本当にその世界設定の質は、本格的なSF小説並みだな、という風に思いました。 僕はちょっとダメでしたけど、この作品を素晴らしいと感じる人はいるだろうな、という風にも思います。難しいところですが、ひとまず読んでみて欲しい、という風に思ったりします。オススメはしませんけど

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