右岸

辻仁成

2008年10月31日

集英社

1,870円(税込)

小説・エッセイ

福岡で隣同士に住んでいた九と茉莉ー。不思議な力を授かりながら、人を救うことができず苦しむ九。放浪の後、パリで最愛の女性・ネネに出会うが、いつも心の片隅には茉莉がいて…。辻仁成と江國香織の奏でる二重奏ふたたび。愛を信じることができるあなたに贈る大きな希望の物語。

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Readeeユーザー

(無題)

-- 2018年01月19日

茉莉の半生を描いた江國香織の「左岸」では、よく見えてなかった事柄が辻仁成の「右岸」の祖父江九視線で明確になってくる。左岸で茉莉は九を恋愛の対象として意識していなかったが、右岸の九は茉莉に恋い焦がれている。こちらは、九の半生記であろうか。第一部は九の思春期が描かれる。キーワードは「死」と「性」である。初めは茉莉の兄惣一郎の縊死であった。体育館脇の木にぶら下がり、息をしていない惣一郎の第一発見者は九であった。まだ9歳でしか過ぎない九に与えた衝撃は計り知れなく、神経を破壊して入院を余儀無くされた。次いで父親の凄絶な死である。ヤクザ同士の抗争の果てであれば、父親の凄惨な死も致し方なかろうか。多くの人が病院で死を迎える現代では、死は日常の出来事ではなくなった。それだけに、人は身近な人の死に接したとき、誰しもがふと生きる意味に思いを致すことになる。一方、人は生きていれば身体の奥からの衝動に駆られるときがある。性の欲望である。九がこれを初めて意識したのは、両親のセックスを目撃した時であった。やがてその衝動は、九の身体の上に現実のものとなって現れた。 人生はよく「旅」に例えられる。青春期を迎えた九は世界放浪の旅に出た。そのキッカケも性であった。恋い焦がれた茉莉にとのセックスが、九の巨根ゆえに不調に終わったのを悲観して出奔したのだった。放浪の旅は沖縄、中国、インド、イラク、トルコを経て今はパリである。パリは九の人生に光と影をもたらした。青春期の九は美しい女性を愛し、愛され子供も設けた。しかし、光に満ちた幸せが暗黒の奈落へと舞台転換するのは、事故という一瞬の出来事で十分であった。そして左岸で謎のままであった九の記憶喪失の経緯が明らかになるのだった。 結婚そして父親となって穏やかで人並みの幸福を味わっていた九から愛するものを取り上げた運命の神は、次いで九に超能力者としての人生を用意していた。それは、同時にオカルト的あるいは宗教的な歩みでもあった。霊魂や背後霊、輪廻転生や救済といったスピリチャルな言葉が登場してきて、恋愛小説とは違った色彩が濃くなっていくのだった。超能力や宗教と聞けば、人は「奇跡」を期待することであろう。しかし、九の人生には、そんなことは起こらない。むしろ九は生きることに不器用であった。九の晩年は、これと言って特筆すべきことも無い、地味でくすんだ色彩に支配されていた。ひとつだけ、挙げるならば茉莉との距離感が縮まったことかもしれない。やはり、この物語は人を愛する技に疎い九の茉莉との恋愛物語なのだろう。

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