死者の奢り・飼育

・死者の奢り 生きているもの（主人公、管理人）が煩雑に扱われる一方、死者が贅沢なほど丁重に扱われていることから題名である【死者の奢り】と、皮肉が込められている。 主人公は「生きている、意識を備えている人間は躰の周りに厚い粘液質の膜を持って、僕を拒む」と対人関係に葛藤を抱えている。作中の様々な場面で、彼の歪んだ性格が散発している。 まず、死体運びといった下等な仕事をしている管理人に対して優越感を感じていることから彼の劣等感と自己不全感が表されていた。管理人から注意を受けても友達口調で生返事をすること、注射を持った医大生にぶつかり、咎められても無視をすることから高い自尊心がある。これは劣等感の反動形成だろう。 堕胎しようとしている女子学生の葛藤を聞く際も、欠伸をかみ殺して聞いていたり、女子学生が胎児と死体の結びつきについて言及してもあしらったことから、共感力の低さ、思いやりのなさが垣間見えた。 加えて、死体の処理の後の昼休憩中、死者と違う自身の健康さに快楽的な気持ちとなり、見ず知らずの怪我をした男性に開放的に接するといった優越感や相手の立場.視点から物事を考えることができない共感力の低さを感じさせる場面は特に印象的であった。 そんな彼の自己不全感、劣等感を投影している場面も数多ある。 「あの男は僕を賤しい人間を見るものの不快さを感じながらみた。」 「君のことを、あの学生は、俺たちの同類（死者）、少なくとも俺たちの側のもの、と見たんだろう」 「躰中のあらゆる粘膜が死者の臭いのする微粒にこびりつかれて強張っているような、いたたまれない気がした」が該当場面だ。 対人スキルの低い主人公は、死者という〈物〉を通して、対人関係の葛藤を開示していった。葛藤しているため、強い生への執着を抱えているが、上手く行かないため、「僕は希望を持っていない。自分の生活には希望が入らない。僕は一番よく勉強する学生の一人だ。僕には希望をもったり、絶望したりしている暇がない。」と生に対する空虚感に直面しないように突っ走っしり、生を抑圧否認し、人生に徒労を覚えている。 一時、死者を通して、生の魅力を受け入れ、開放的になるが、怪我人の険のある表情や作業が無駄骨となったことで、「僕の喉へ込み上げてくる、膨れきった厚ぼったい感情は、飲み込むたびに執拗に押し戻してくるのだ。」とまたしても徒労感に襲われてしまい、何とも陰鬱な気分で物語が終わってしまう。 主人公と同様管理人も印象的な人物であった。 主人公に対して「君には何一つ上手くできないんだな。この頃の学生はきまってそうだ。」と攻撃的である。相手を蔑み、自己高揚しているのだ。自身を誇示するために自分が全てを支配したいところだが、現実的にそれができない。自分の仕事に矜持を持っているが、蔑まれている職業であることを痛感しており、強い劣等感がある。他人のちょっとしたミスを非難したり指摘するなどで自分の力を見せている。そんな彼も、医学部の助教授から高圧的に接しられ、徒労感を覚えている姿が不憫であった。 ・他人の足 脊椎カリエスのため、寝椅子生活を余儀されなくなった少年少女達が療養している希望や人としての誇りを失った閉鎖的な空間に、どんな過酷な現状だとしても人間としての尊厳を保ち続けるべきだと豪語する成年が外界から入ってくる話。 主人公以外は、外界からきた青年の希望に満ち溢れた言辞で希望を見出し、人生に対して前向きな姿勢を取り戻していく。 青年が歩けるようになった姿は、皆に勇気を与える心踊る場面で、主人公も遂に、直向きな青年の姿に感化され殻なら抜け出す心構えをし始める。しかし、健康になった青年は、俄かに彼らを突き放す。 その実、青年は自分の定めを受け入れられないため、皆を巻き込んで、群衆心理で無理矢理希望を見出し、絶望した気持ちを回避するための現実逃避できる居心地のいい空間を作りあげていただけで、自分の足が動けるようになったら、瑕疵を持つ彼らを排他的に扱い、許容しなかった。なんとも独善的で身勝手で最低な人物だ。 ・飼育 世間から隔離されている村が舞台。村人の子供達は世間一般の価値観からかなり外れており、人骨を探す、暴力を平気で振るう、性器を弄ばせる等、退廃的で倫理観がない。 町からしたら、村人はよくわからない存在のため、気味が悪くて陰険と感じ、忌み嫌い、受け入れない。 そのため、町の住民から村の子供達は蛙と揶揄され、差別を受けている。 そんな村で飛行機が墜落したことで兵士の黒人を囚える。 村人は、言語も肌の色も異なる黒人を、人間と考えず、家畜として飼育を始める。特に印象的だったのが、黒人を山羊と獣姦させようとする場面であった。 道徳心が育っていない、ある意味、無垢で馬鹿な村人の子供の中で、年長者の主人公は、彼らの行動を俯瞰してみている場面が多い。主人公は、村が酷くみすぼらしくて貧しいこと、町から差別されていることを自覚して恥じているようだった。そのため、黒人に食事を提供した際は、夕食の貧しさと村人を軽蔑して、決してその食物には手をつけないのではないかと考え、羞恥の感情が主人公を襲っていた。自分の立場に劣等感を強く抱えている印象深い場面であった。そんな主人公は黒人と接していることで村人の子供から羨望の眼差しに快感を覚え、自尊感情を満たしていた。 小説中、大人と子供が親密に交わる場面が全くない。彼らの立場の差がかなり大きい。大人を描く時は、低い声、逞しい背中等の身体的な熟度を印象づけた描き方をしている。精神的な面では、 子供は無垢で、大人は冷酷さという差異が印象的だ。冷酷さとは、社会で生きていく上で、世の中を見渡し、物事を把握し、行動をしていく上で必要な感情である。 この物語の中核は、主人公が子供から大人へと移行していく変化である。黒人の捕虜となった主人公は、大人が鉈を振ったこと、黒人が自分を人質にしたことなど、社会に生きるための大人の残虐さを目の当たりにし、「僕はもう子供ではない」という考えを啓示のように受け入れ、大人へと駆け上がった。 また、子供から大人へ移行の象徴的な心理変化を示したのが書記の死だ。 瑕疵だったからだろうか、主人公が唯一親密に接することができた大人であったので、大人と子供の間の存在と考えることができた。そのため彼の逝去は、子供から大人への移行描写と捉えられる。芥川賞を受賞した作品。修飾が多く、読みしづらさもあったが文章が荘重で美しかった。 ・人間の羊 他人の足と同様、独善的な男（教員）が登場する。 米軍兵により恥辱を受けた主人公たち《羊》は、事実を受け入れることができていない状況だ。羞恥や悲しみなど陰性感情を伴う出来事に遭遇した時、人は悲嘆プロセスを辿る。ショックから始まり、否認、怒り、抑うつとなり、最後に受容に至る。これらはらせん構造のように時間をかけて進んでいく。そんな主人公たちの感情を無視して、傍観者たち、特に教員は、米軍に狼煙をあげようと奮起し始める。最中はただの傍観者であったのにもかかわらずだ。彼らも主人公たちと同様、悲嘆プロセスを辿ったはずだ。ただし進行速度が違う。主人公たちがショックの段階であるが、彼らは被害者でないので、既に怒りに到達しているのだ。この差異が主人公たちと傍観者たちが協力し合えない一つの要因となっている。 また、教員は主人公たちや今後被害を被る可能性のある日本人のために、米国兵士を訴えようとしているのではなく、自分が何もできなかった悔恨を払拭するために主人公を利用している。しかもその事に気づかず、本人は彼らのためだと本気で信じて、強い正義感にかられている。視野狭窄が甚だしく、なんとも独りよがりで最低で馬鹿な人物だ。本当に主人公を思うなら、彼らの屈辱を理解して、辱めを受けたことを隠したい気持ちと米軍を訴えたい気持ちの両価的葛藤を理解してアプローチすべきだろう。まずは、恥辱を受けた事実に寄り添う。そして、事実を打ち明けたくない気持ちを理解して、米軍兵を訴えることは、かなり辛く、心労が募るため、やらなくていいとあえて伝える。 最後に、そっと、他の人たちのために事実を明るみにする勇者が必要である事を伝え、本人の決断を待つのだ。 両価的葛藤の場合、シーソーのように、あえてして欲しいことの逆を押すことが大切である。 ・不意の啞（おし） 目には目を歯に歯を。同じ日本人の通訳者が、米国兵を盾に、虎の威を借る狐の状態で、居丈高に村人に接する姿は本当に滑稽だった。敗戦国の日本では、米国兵に支える日本人は、その他の日本人よりも優位な立場であったのだろうか。米国兵側という付加価値で自己高揚させている彼らはなんとも滑稽だ。

非表示