管見妄語 グローバル化の憂鬱
藤原 正彦
2013年11月18日
新潮社
1,430円(税込)
小説・エッセイ
日本人に必要な真の教養とは何か?米英を盲信する能天気に一喝!物事の本質を見抜いて鋭く問う。
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(無題)
書名が既に著者の立ち位置を明らかにしていますね。グローバル化って国家・地域の垣根を越え、地球規模で資本や情報のやり取りが行われることが本来の意味ですよね。日本では米国流のビジネス手法や基準となる経営指標や国際会計基準が、グローバル・スタンダードとしてもてはやされるようになりました。この結果、会計制度や金融市場などで日本独自の制度・規制が排除されました。これがひいては日本文化の破壊になりかねない、と危惧する立場をとる人々が存在します。著者もそのうちの一人です。 そんなグローバル化への苦々しい思いが綴られたのが第1章「誰が市場原理をまき散らしたのか」です。グローバルスタンダードや新市場主義など、一皮剥けばアメリカの国益追求や富裕層優遇が見て取れるとの著者の主張が色濃く漂います。ですから、外交面にあっては、我が国は一歩もひきてはならない、との立場をとります。この点に関しては、著者の言に説得力がありますので、長文になりますが本文を引用しますね。 1982年に宮沢喜一官房長官により「中国、韓国、北朝鮮を刺激するような記述は教科書に載せない」という近隣諸国条項が出された。 それ以来、この三国は何かにつけしきりに歴史認識を口にするようになった。 第二次大戦までの歴史を外交に持ち出す国は世界中でこの三国だけだ。インド、ミャンマー、シンガポールはイギリスに歴史認識を迫らないし、ベトナムはフランスに、ポーランドは独露に歴史認識を問わない。 この奇想天外な条項は今だに生きている。だから尖閥、竹島、従軍慰安婦、南京虐殺などについても、こちらの見解を堂々と明示せずぶつぶつと陰で異議をつぶやくだけだ。 真実は一つだから世界はいつか分ってくれると思っている。そうはならない。 こと外交に関しては黒白の二者択一しかないのだから堂々と主張しろ、というわけです。これに対して国内問題へは正反対の取り組みを提案します。戦争や原発への態度を二者択一的に捉えると、思考停止に陥ってしまうので危険だ、との指摘です。戦争を嫌う気持ちや危険で不完全な原子力に依存したくないのは誰しもですが、それを声高に叫ぶのではなく、グレーにしておいた方がより早い時期に解決するだろう、これが著者の言い分です。一考の価値はあるかもしれません。 最後に、本書全体を貫くユーモアについて考えてみたいと思います。著者が友人のイギリス人に「本物のイギリス紳士とは」と問いかける場面があり、イギリス人は「ユーモアのセンスのある人」と答えています。イギリス人の考える「ユーモアリスト」とは、けたけたわらってばかりいる人間ではなく、真面目に感じながらもふざけて考え、冗談を言いながら真面目な顔を崩さずにいるのが上手な人のことです。イギリス紳士のユーモアは、ブラックユーモアとともに、笑いものにされることを楽しむゆとりがあります。著者が読者の笑いを誘うのにしばしば奥様を引き合いに出すのは、自虐ネタの変種でしょうか。
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