
空海の風景(上巻)新装改版
司馬遼太郎
2005年6月10日
中央公論新社
1,980円(税込)
小説・エッセイ
弘法大師空海の足跡をたどり、その時代風景のなかに自らを置き、過去と現在の融通無碍の往還によって、日本が生んだ最初の「人類普遍の天才」の実像に迫る。構想十余年、著者積年のテーマが結実した司馬文学の最高傑作。昭和五十年度芸術院恩賜賞受賞。
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(無題)
空海には、謎の9年間がある。何をしていたのかよくわからない期間である。司馬遼太郎によると、空海はこの時期、勤操の近事となった。近事とは、僧たる資格はないが師に仕え、師の指導によって仏事を行うものというほどの意味だそうだ。このことによって空海は勤操の身辺にいてその話を聞くことができたし、また諸官寺が所蔵している経典類も、勤操の使いという資格において出かけていってそれを閲覧することもできた。その当時、諸官寺の経蔵に自由に出入りするということは大変なことだった。この間空海は、文字通り万巻の教典を読んだらしい。そればかりか、当時の中国語までマスターしている。そして修学中に巡り会ったのが大日経であった。空海にとって大日経は、宇宙の真理を解き明かすものにとどまらず、即身成仏の可能性と、諸仏、諸菩薩と交感してそこから実践的利益を引き出すという法であった。これらの事を師事する事なく、独力で成し遂げているのである。 そして空海30歳の時、入唐を決意する。本人が決意しても、空海は一介の支度僧で、その身分で遣唐使船に乗れるわけがない。急遽得度して官僧の身分を得るが、その経緯も尋常一様ではなかったはずだ。結果的には遣唐使の一行に加わり渡海することができた。 渡唐の理由は、すでに空海の中で確立されていた密教の体系を正当な伝授者、すなわち中国密教の最高権威者、恵果上人に追認してもらう事であり、密教の実践方法を師伝してもらうことであった。 しかし長安に入った空海は、5ヶ月間も恵果上人に会うことはしなかった。其の間、サンスクリット語の習得やゾロアスター教、マニ教、景教の教義を研究したのだ。しかも長安の文化人との交流のなかで、空海の名は瞬く間に高まった。その結果、恵果上人が空海の来訪を待ちわびるまでになった。 司馬遼太郎は、細かく資料を調査しているが、それでは納得できないところが多々ある。一言で言えば空海の事蹟は、人知を超えている。つまり、空海はウルトラスーパー天才だから、そんなこともあるのかな、と思わざるを得ないのである。
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