レス・ザン・ゼロ
中公文庫
ブレット・イーストン・エリス / 中江昌彦
1992年4月30日
中央公論新社
576円(税込)
小説・エッセイ / 文庫
セックス、ポルノビデオ、売春夫、ドラッグ、パーティ…。ロサンゼルスの乾いた気候とMTVをバックに、20歳の新人が描く若者たちの生態。ゼロ・ジェネレーションの旗手の、ファッショナブルにして不穏な衝撃的デビュー作。
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(無題)
1. 合流 みんな合流するのが恐いのよ。それが帰ってきて最初に聞いた言葉だ。ブレアはロス空港でぼくを拾うと、高速のランプを登りながらそうつぶやく。「みんな高速の合流が恐いのよね」。なんでもないその言葉がぼくの心にひっかかって離れない。 その言葉はたしかにぼくの心にも引っかかったようだ。こんな風にはじまる「LESS THAN ZERO」(1985年)は、上流階級の若者たちの「ゼロよりも少ない青春」を描いて80年代のアメリカ文学界にセンセーションを呼び起こした。 2. 無為の日々 東部の大学に通っている主人公クレイは、クリスマス休暇でロサンゼルスに帰ってくる。なま暖かい風。車の中にかすかに残るマリファナの匂い。そこには高校時代と変わらないLAの生活があった。 「クレイ。顔色悪いな」 彼を迎える第一声はこうだ。しかし東部から帰ってきたばかりのクレイにとって、久しぶりのLAの生活はどこか見慣れない、ガラス越しの風景のようだった。 作者は、上流階級の若者たちの風俗を余すところなく描きだす。ドラッグ、セックス、日焼けサロン、ポルノ、プール付きの家、毎晩のパーティ・・・。しかし、そのファッショナブルなストーリーに感情移入の余地はほとんどと言っていいほどない。時折挿入される回想シーンを除いてほぼ全編が現在形で書かれたこの本は、主人公をとりまく会話や風景や行為をただ淡々と綴っていくのみ。それらを見つめるクレイの感情さえも、時折ほんのちょっとした会話の余白にゆらぎのようにさしはさまれる程度でしかない。 そうでなくても、描かれるのはぼくたちとはまるで縁のない上流階級の日常で、登場人物たちもちっとも魅力的ではない。映画プロデューサーのブレアの父親はホームパーティに平気でボーイフレンドを呼ぶし、クレイの両親は別居してほとんど口をきかない。親たちはみんな息子や娘を置いて外国へ行ってしまっているし、子供たちの方は親が今どこにいるのかをゴシップ誌の記事で知るありさまだ。家族の会話はまるで噛みあわず、誰も相手の言葉に耳を傾けようとせず、友人たちは互いに目を合わせようとしない。たまにじっと見つめる視線があると、それはクスリでイっちゃってる焦点の合わない目だったりする。 「みんな合流するのが恐いのよ」 たぶん翻訳でこの本を読んだ人の大半が途中で放り出してしまったのではないだろうか。たいして魅力的でもない若者たちの延々とつづく無為な日々の記録を、忍耐を持って読みつづけられる人はそういないと思われる。カリフォルニアの青い空。おしゃれな若者たち。散りばめられた鮮やかな色彩の中に描かれる光景はそれだけ空虚だ。 行き止まりの道へ車を乗り入れる友人にクレイは尋ねる。 「どこへ行くんだ?」。 友人の答えはこうだ。 「知らねえよ。ただ走ってるだけさ」 「でもこの道は行き止まりだぜ」。クレイは言う。 「関係ねえ」 「じゃあおまえに関係あることって何だ?」。しばらくしてクレイは尋ねる。 「ただ俺たちがこうしてこの道を走ってるってことだよ」 3. 濃霧とナイフ どこか客観的に見つめているクレイ自身も、高校時代の恋人ブレアに対して煮えきらない態度をとるのみだ。「もうあいつとは終わったんだよ」と言いながら彼女と寝てみたり・・・。 そんな無為の日々の中で、多くを語らない友人たちの会話からだんだんはっきりしてくるのは、どうやら親友のジュリアンがまずい状況に陥っているらしいことだった。ジュリアンからの留守番電話や置き手紙。彼が会いたがっているという話は聞こえてくるのに、すれ違いばかりでなかなか親友に会えないクレイ。しかし、ようやく会えたジュリアンはこう言うだけだ。「カネ貸してくれよ」。彼はクスリのために莫大な借金を抱え、そのかたに売春夫をさせられているようだった。 使途もわからないままジュリアンに金を貸してしまったクレイは、返してもらうためにジュリアンの売春の場面にまで立ち会う羽目になる。 ホテルの一室。金を持ったビジネスマン。四つん這いにされるジュリアン。小学生のジュリアンのイメージがそれに重なる。5年生の放課後、スポーツクラブ。 どうしてみんな軌道をはずれていくのだろうか。クレイと同じ東部の大学に通う友人のダニエルは、休暇が終わっても大学には戻らない決意をする。いや、戻る決意をしなかったと言ったほうが正しいかもしれない。「だって戻る理由がないんだ」。 ある場面でクレイは友人につかみかかる。 「こんなの間違ってるよ」 「何が間違ってる? 欲しいものがあればおまえはそいつを手に入れられるし、やりたいことがあるならただそいつをやればいいんだよ」。 クレイは壁に身を預ける。寝室でスピンがうめく声が聞こえ、それからたぶん頬を平手打ちする音が聞こえる。 「だけどもう何も要らないだろ?何でも持ってるじゃないか」 「いいや」 「何だって?」 「ないものがあるんだ」。間があってクレイは尋ねる。 「おい、何がないって言うんだよ?」 「失うものが何もないのさ」 たぶんみんな気づいているのだろう。自分たちが軌道をはずれていることを。それがわかっていても元には戻れないときがある。とりわけ金と時間と若さがあり余っているときには。そしてそこに鋭敏すぎる神経が付け加わるときには。 大学時代にこんなことを書いた記憶がある。青春とは濃霧のようなもので、ぼくたちは訳もわからずナイフを振り回しながら歩いているのだと。そして、霧の中から友人が転がり出てきて、血の滴る傷口を押さえながらこちらを見るとき、はじめてぼくたちは自分が持ったナイフの意味に気づくのだと。 4. 卒業 救いのない物語は、救いのないままに終わる。ジュリアンを救い出すこともできず、ブレアとの宙ぶらりんな関係に結末を与えることもなく、ただクレイが LAを去ることによって物語は終わる。「潮時だ。長居しすぎた」そうつぶやいて。 多くの青春がそういうものかもしれない。卒業とは何かを解決することでも、何かを乗り越えることでもなく、ただ時期が来てそこから立ち去るだけのこと。誰もがそんな風に卒業し、青春を通りすぎていくのだろう。ゼロよりも少なかったそれぞれの青春を。 それは生き残りを賭けた闘いなのだという言い方もできる。もとより無傷で通過することは不可能だが、何とか道に戻ることのできたものだけが次の人生に進めるのだ。ただし、精算できなかった青春のつけを背に負いながら。フランス五月革命のさなか、デモ中に手榴弾を受ける直前に「生きることは生き残ることじゃない」と書き記した学生のことを、哲学者のジル・ドゥルーズは「今日の最もニーチェ的な若者」と賞賛しているが、それをもじるなら「生き残ること、それこそが生きることだ」となるだろうか。 この本は1987年に映画化された。主人公のクレイにアンドリュー・マッカーシー(「セント・エルモス・ファイアー」「イヤーオブ・ザ・ガン」)、クレイの親友ジュリアンにロバート・ダウニー・Jr(「チャーリー」「アリー・myラブ」)、友人で売人のリップにジェームス・スペイダー(「セックスと嘘とビデオテープ」「クラッシュ」)という豪華キャストだった(まだ無名のブラッド" ピットもチョイ役で出演していたらしい)。ちなみに主題歌は、サイモンとガーファンクルの名曲「冬の散歩道」をバングルズがカバーしてリバイバルヒットさせた。 真にこの本の雰囲気を味わうならやはり原書で読むことをおすすめする。そんなに難しい文章ではない。ぼくのあやしい読解力でも雰囲気くらいはつかめるのだから(偉そうに言うが、ぼくも決して全編を原文で読破したわけではない。どちらかと言えば、わかるとこだけ拾い読みしたという程度だろうか)。文学的に凝った言い回しはまったくなく、むしろ平易な短文によるストレートな描写が命だから、それほど苦労せずに読めると思う。 理想は原文で雰囲気をつかみ、映画で視覚的イメージをふくらませ、翻訳で意味を補う(笑)というところだろうか。 単にストーリーを追い、意味を追うのではない何かがあとに残るだろう。そう、たとえば「みんな合流が恐いのよ」。そうつぶやいたブレアの言葉のように。 では、最後にクレイとブレアの別れ(?)のシーンを。 「私のこと気にかけてくれたことある?クレイ」 ぼくは黙って、メニューに視線を戻す。 「一度だって気にかけてくれたことあるの?」 「ぼくは何も気にかけない。何かを気にかけていいことがあった試しがないからね。何も気にかけなければ傷つかずにすむ」 「私はちょっとの間だけどあなたのこと気にかけてたのよ」 ぼくは黙っている。 彼女はサングラスをはずすと、最後に言う。「またね」彼女は立ち上がる。 「どこへ行くの?」不意にぼくはブレアを置いて行きたくないような気がしてくる。彼女をニューハンプシャーへ連れて帰りたくなる。 「友達とランチを食べなきゃ」 「俺たちどうなる?」 「俺たちどうなるですって?」彼女は立ったまますこし待っている。ぼくはまだ看板の方を見ている。やがて看板がかすんで、そして視界が戻ってくると、ブレアの車は駐車場を出てサンセット通りの車の波に消えていく。ウェイターがやってきてたずねる。「お客様、だいじょうぶですか?」 ぼくは顔をあげ、サングラスをかけて何とか微笑もうとする。「ああ、だいじょうぶさ」
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