瘋癲老人日記改版
中公文庫
谷崎潤一郎
2001年3月25日
中央公論新社
691円(税込)
小説・エッセイ / 文庫
七十七歳の卯木督助は“スデニ全ク無能力者デハアルガ”、踊り子あがりの美しく驕慢な嫁颯子に魅かれ、変形的間接的な方法で性的快楽を得ようと命を賭けるー妄執とも狂恋とも呼ぶべき老いの身の性と死の対決を、最高の芸術の世界に昇華させた名作。
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(無題)
再読。繊細すぎた川端の千羽鶴とくらべ(るものではないが)力を感じる。 老人が若く美しい楓子のフラッパーぶりに翻弄され溺れていくマゾっぷりがおぞましいが面白すぎる。しかし自分が男ならこうはならないないなどという確信は無い。 よってこの老人を醜いとは全く思わなかった。 面白いのは彼女の現代的驕慢さに惹かれながらも自らの死後の墓石への異常な執着、その内容は一見、楓子の足型にのみ心が行きそうであるが、よく読むと阿弥陀なり線掘菩薩なりが微に入り細に入り詳細に記述されており、平安末期に拘っていることである。蜻蛉石というのも気になった。谷崎は源氏の現代語訳をしており、蜻蛉といえば浮舟である。谷崎がそれを意識しなかったはずはない。浮舟は二人の男に揺れる女であるがどちらかというと受動的な女性である。楓子とは真逆の女性でありその辺りに作家の複雑さがうかがえる。 実際に私は法然院に行き谷崎の墓も訪れたが「寂」という文字が彫られたその名の通り実に寂しいもので、モデルであったらしい千萬子さんの脚型などは全く影も形もなかったのが印象的である。 結局文豪の真意などは読者とは遠く隔たっており、こうだという確信的なことは誰にもわからないだろう。
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