江戸日本の転換点

水田の激増は何をもたらしたか

NHKブックス

武井弘一

2015年4月30日

NHK出版

1,540円(税込)

ビジネス・経済・就職 / 人文・思想・社会

なぜ水田を中心にした社会は行き詰まったのか。老農の証言から浮かび上がる歴史の深層。米づくりは持続可能だったのか?新田開発は社会を豊かにする一方で農業に深刻な矛盾を生み出した。エコでも循環型でもなかった“江戸時代”をリアルに描き出す力作。

本棚に登録&レビュー

みんなの評価(1

starstar
star
2.9

読みたい

0

未読

1

読書中

0

既読

27

未指定

2

書店員レビュー(0)
書店員レビュー一覧

みんなのレビュー (1)

Readeeユーザー

(無題)

-- 2018年01月20日

安食木杭新田。これをアジキボックイシンデンと正しく読める人は、千葉県民でも少数派に属するだろう。かくいう僕も、成田や茨城のゴルフ場に行く時に利用する利根水郷ラインで地名表示を見た時には、首を傾げたものだった。安食が元々の大字で、木杭と新田は江戸期の新田開発に伴って新たに命名されたと推測される。木杭は木製の杭である。測量杭や基礎杭として古くから使われてきたものだ。木材は腐食するので杭には不向きと考えられるが、水中に常時ある木材は、空気と直接に触れないので劣化しないのである。いい例がイタリアのベネチアである。木の杭を無数に埋めてその上に石を積んで出来た島なのに1400年間、木も腐らず、石も沈まないのだ。そして、新田。江戸期には田沼意次や水野忠邦らにより、幕府による巨費を投じた大規模な新田開発が試みられた事は広く知られている。 江戸時代初期には幕府や各藩の奨励のもと、役人や農民たちの主導で湖や潟、浅瀬などで埋め立てや干拓が行われ耕地となった。さらには丘陵地帯や台地、谷地など内陸部の荒れ地でも新田の開拓が行われた。こうした新田開発を通じ、江戸時代初期に全国で1800万石だった石高は、江戸時代中期には2500万石、後期には3000万石と倍増に近い勢いで拡大した。 徳川幕府の経済政策は、石高制を基本としていた。武士の収入も幕府の財政も米である。だから幕閣は米価安定に腐心し、倹約と農民に対する増税によって幕府の財政を安定させようとしたのである。いわゆる重農主義である。しかし、実際には貨幣を伴う資本主義が世を席巻していたのである。 17世紀に新田開発が進められた。見渡すかぎりの水田風景が生まれたのはこの時期である。ところが18世紀に入ると、新田開発は停滞した。最大の原因は、地味の低下であった。その結果、草山がつぶされ、干鰯(ほしか)などの肥料が使われるようになった。つまり江戸時代の水田農業が18世紀に成長の限界、環境の破壊に直面したことが明らかとなる。したがって、江戸時代をたんに環境保全、低成長社会のモデルとすることはできない、これが本書の主張するところである。本書は江戸時代を環境問題の視点から理想的循環型社会とする捉え方に真っ向から反対するものである。     

全部を表示
Google Play で手に入れよう
Google Play で手に入れよう
キーワードは1文字以上で検索してください