歴史とはなにか

文春新書

岡田 英弘

2001年2月20日

文藝春秋

935円(税込)

人文・思想・社会 / 新書

世界には「歴史のある文明」と「歴史のない文明」がある。日本文明は「反中国」をアイデンティティとして生まれた。世界は一定の方向に発展しているのではない。筋道のない世界に筋道のある物語を与えるのが歴史だ。「国家」「国民」「国語」といった概念は、わずかこの一、二世紀の間に生まれたものにすぎない…などなど、一見突飛なようでいて、実は本質を鋭くついた歴史の見方・捉え方。目からウロコの落ちるような、雄大かつ刺激的な論考である。

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Readeeユーザー

(無題)

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4.4 2018年01月27日

インド文明が歴史を持たなかった理由、イスラム文明に歴史観が希薄な理由、アメリカがなぜあれほど独善的に「自由」を押しつけるのか、マルクスの唯物的史観の背後にあるゾロアスター教の影響、中国政府が世界中の非難を浴びながらいつまでもチベットや内モンゴル自治区の迫害を止めない理由などが、目から鱗が落ちるように判ってしまうのですから、この本の面白さは頭抜けています。歴史と文明の本質を鋭く追求した一書です。 歴史は物語であって科学ではない、歴史上の事件には因果関係なんてない、と断言されたら、貴方はどう思いますか。この点について著者は、次のように論証します。まず、私たちが歴史書を読むときに、つい当たり前と思い込んでいる前提知識が幾つかあって、それが目を曇らせると言うのです。例えば次のようなものです。⚪︎狩猟社会⇒農耕社会⇒封建社会⇒立憲君主制と社会は進歩して現在の科学文明社会に到達した。⚪︎古文書や過去の資料には事実が書かれている。⚪︎古代の人間はおおらかに生きていた。⚪︎歴史上の事件と事件の間には因果関係があり、それを解明するのが歴史学だ。私たちは多かれ少なかれ,このような考え方をしていますね。ところが、本書はその全てを否定するのです。その見事な論証は、歴史に対する見方を根底から覆すものです。 さて、世界の二大歴史書といえば,司馬遷の『史記』とヘロドトスの『歴史』ですね。歴史という規範を作ったのはこの二人ですが、両者の歴史観は全く異なっています。それは両者が書き表す目的を異としていたからです。司馬遷が『史記』で書きたかったのは「武帝は正統である」という事です。ですから、この書は「皇帝の正統の歴史」であって、中国の歴史ではないのです。ところが、この『史記』の歴史観がその後の中国人の歴史に対する考えを決めてしまったと言うのです。「正統だから帝位につき、正統という点では中国の歴史に変化はない」というのが、その後の中国の史書の大原則になってしまった訳です。だから、その後に書かれた中国の正史は常に「天下に変化はない」と書かなければいけなくなってしまいました。変化があったら正統ではなく、それは現皇帝を否定することになるからです。事実を書き記したものが正史ではないのですね。 一方のヘロドトスは地中海文明の変遷を書き記しましたが、その基本的な考えは「歴史は変化である、変化は対立・構想により起こる、ヨーロッパとアジアは永遠に対立する二つの勢力だ」という3点に集約できると言うのです。このヘロドトスの歴史観がそのまま、ヨーロッパ文明の歴史観になってしまいました。だから、私たちが学んだギリシャやローマ時代の歴史は戦争のことしか書いていませんし、中世から近代までのヨーロッパの歴史も戦争主体の説明が続いています。昔の人たちはのべつまくなしに戦争ばかりしていたんだ、野蛮だったんだな、と考えてしまいます。 最後に我が国最古の歴史書『日本書紀』にも触れておきますね。日本書紀は「日本には中国の最初の皇帝が出現する前から天皇がおり、その子孫が天武天皇。中国の皇帝には連続性がないが、日本の天皇は万世一系の血統で繋がっていて、はるかに正統だ」という宣言文だと言うのです。どうです、分かりやすいですね。さらに日本書紀の半分を占める神話の部分は日本民族の過去の歴史ではなく、現天武天皇の正統性と、天皇の君主権を説明するために加えられたものと見なしています。

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