竜馬がゆく 七
文春文庫
司馬 遼太郎
1998年10月9日
文藝春秋
825円(税込)
小説・エッセイ / 文庫
同盟した薩摩と長州は着々と討幕の態勢を整えてゆく。が、竜馬はこの薩長に土佐等を加えた軍事力を背景に、思い切った奇手を案出した。大政奉還ー幕府のもつ政権をおだやかに朝廷に返させようというものである。これによって内乱を避け、外国に侵食する暇を与えず、京で一挙に新政府を樹立するー無血革命方式であった。
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海のように大きな野望
薩長同盟ができあがり、第二次長征の失敗により、大きく流れが変わり始める。 その中でも、土佐藩が大きく裏返った。 後藤象二郎、板垣退助ら上士らが佐幕派から勤王派へと変化し、そして坂本竜馬や中岡慎太郎ら郷土らに接近をし始めた。 そして、土佐藩を立て直そうと策するそんな回。 そして、亀山山中が改めて海援隊となり、諸藩を巻き込んだカンパニーも作り始めた。 竜馬は利が人々を繋げると言ったが、本当にその通りだ。貿易や船舶を通して、どんどん人が集まり、本当に言葉を実現してしまう。 その根幹にあるのは、理である。 彼は決して争いごとを血や感情で片付けようとはしなかった。 饅頭のあんを例えていたが、海援隊を土佐藩の配下に置くことなく、藩と同格にあつかうことを書面にし、自ら語ることなく締結。 そして、紀州藩との衝突による大事故にも決してめげることなく、国際法に基づく訴訟を起こし、藩を持ち出した上で賠償解決を行った。実に見事である。誰からも恨みつらみが続くことなく、しっかりと解決に至る。 その論拠や過程が誰をも納得させる。 一方で、中岡慎太郎の活躍にも目が眩む。 彼は、列候会議の中でも四賢候と呼ばれる薩摩(島津久光)、土佐(山内容堂)、伊予(伊達宗城)そして、越前福井(松平慶永)の会議に向けて、奔走する。そして朝廷からは、かの岩倉具視を説得し、無事に勤王派として迎え入れる。薩長同盟に続き、三条実朝と岩倉具視が手を繋いだことで、本腰を上げて動き出したのである。 途中容堂は逃げ帰るが、板垣退助が命に代えても兵隊を全線に連れて行くとの旨を伝えたところは本当に良かった。 これにて初めて、薩長土が正式に手を繋いだ。ついに、あとは兵を起こすまでになったのだ。 そして、最後土佐藩がまだ決意を決めかねているとき、薩長が勅命を出し、兵を起こそうとしている旨を聞いた竜馬。そして、後藤とともにその解けぬ将棋盤を解決しに京へと向かう。彼は頭の中で、徳川将軍らを革命の戦火、そして血の争いから避難させるために大政奉還という、勝海舟そして大久保一翁らによって組み立てられた策を起こす。そして、その長崎からの道中、船中八策を作り上げる。その内容は、民主主義で以前語った万民思想をベースにしたものだった。ここまで来ても、彼は薩長の味方でもなく、土佐の味方でもない。ただ日本のことを限り考え、イギリスやフランスに利を持っていかれないことを考え、革命後の朝廷のあり方をしっかりと心に描いていたのである。 このように、序盤は勢いに任せて行動していたようなイメージのあった竜馬。剣を極め、流れるまま攘夷となり、勝に負け開国主義となり、たくさんの人と語り、知識を得て、そして伝え、相手を納得させ、倒幕に向けて、、、 しかしその魂胆にはずーっと、日本が向かう姿、誰もが平等である世界、そして発展していく姿を描いていたのだ。 理想を掲げるものには何人がかかっても、取り崩すことはできない。 その一貫した彼の性格が人を惹きつけた本当の理由なのだろう。 そして、僕が人を好きになる何か目標に向けて一生懸命頑張る姿だ。 陸奥宗光がお慶の担保になる場面は不服にも笑ってしまった。
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海のように大きな野望
薩長同盟ができあがり、第二次長征の失敗により、大きく流れが変わり始める。 その中でも、土佐藩が大きく裏返った。 後藤象二郎、板垣退助ら上士らが佐幕派から勤王派へと変化し、そして坂本竜馬や中岡慎太郎ら郷土らに接近をし始めた。 そして、土佐藩を立て直そうと策するそんな回。 そして、亀山山中が改めて海援隊となり、諸藩を巻き込んだカンパニーも作り始めた。 竜馬は利が人々を繋げると言ったが、本当にその通りだ。貿易や船舶を通して、どんどん人が集まり、本当に言葉を実現してしまう。 その根幹にあるのは、理である。 彼は決して争いごとを血や感情で片付けようとはしなかった。 饅頭のあんを例えていたが、海援隊を土佐藩の配下に置くことなく、藩と同格にあつかうことを書面にし、自ら語ることなく締結。 そして、紀州藩との衝突による大事故にも決してめげることなく、国際法に基づく訴訟を起こし、藩を持ち出した上で賠償解決を行った。実に見事である。誰からも恨みつらみが続くことなく、しっかりと解決に至る。 その論拠や過程が誰をも納得させる。 一方で、中岡慎太郎の活躍にも目が眩む。 彼は、列候会議の中でも四賢候と呼ばれる薩摩(島津久光)、土佐(山内容堂)、伊予(伊達宗城)そして、越前福井(松平慶永)の会議に向けて、奔走する。そして朝廷からは、かの岩倉具視を説得し、無事に勤王派として迎え入れる。薩長同盟に続き、三条実朝と岩倉具視が手を繋いだことで、本腰を上げて動き出したのである。 途中容堂は逃げ帰るが、板垣退助が命に代えても兵隊を全線に連れて行くとの旨を伝えたところは本当に良かった。 これにて初めて、薩長土が正式に手を繋いだ。ついに、あとは兵を起こすまでになったのだ。 そして、最後土佐藩がまだ決意を決めかねているとき、薩長が勅命を出し、兵を起こそうとしている旨を聞いた竜馬。そして、後藤とともにその解けぬ将棋盤を解決しに京へと向かう。彼は頭の中で、徳川将軍らを革命の戦火、そして血の争いから避難させるために大政奉還という、勝海舟そして大久保一翁らによって組み立てられた策を起こす。そして、その長崎からの道中、船中八策を作り上げる。その内容は、民主主義で以前語った万民思想をベースにしたものだった。ここまで来ても、彼は薩長の味方でもなく、土佐の味方でもない。ただ日本のことを限り考え、イギリスやフランスに利を持っていかれないことを考え、革命後の朝廷のあり方をしっかりと心に描いていたのである。 このように、序盤は勢いに任せて行動していたようなイメージのあった竜馬。剣を極め、流れるまま攘夷となり、勝に負け開国主義となり、たくさんの人と語り、知識を得て、そして伝え、相手を納得させ、倒幕に向けて、、、 しかしその魂胆にはずーっと、日本が向かう姿、誰もが平等である世界、そして発展していく姿を描いていたのだ。 理想を掲げるものには何人がかかっても、取り崩すことはできない。 その一貫した彼の性格が人を惹きつけた本当の理由なのだろう。 そして、僕が人を好きになる何か目標に向けて一生懸命頑張る姿だ。 陸奥宗光がお慶の担保になる場面は不服にも笑ってしまった。
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