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1981年発行(単行本は1979年)
1981年発行(単行本は1979年)『サンダカン八番娼館』『サンダカンの墓』著者による、同じ流れをくむノンフィクション。前2作と同じく、著者がテーマに出会う経緯や、資料収集の試行錯誤や様々な偶然・必然を織り交ぜながら、山田わかの生涯を描き出していきます。山田わかは1879年生まれで平塚らいてうや市川房枝より少し年上、夫は在野の社会学者・山田嘉吉で、ともにアメリカで長年過ごして帰国した後、らいてうの『青鞜』誌上に翻訳や評論など文筆活動を始め、『青鞜』終了後も様々な媒体で引っ張りだことなりました。戦前には新聞紙上の身の上相談の回答者として非常に知られ、講演も人気がありました。著者はアメリカ公演旅行のなかで出会った北米毎日新聞社長に「山田わかさんは、このサンフランシスコで白人専門に客を取っていた売春婦じゃった」と聞かされて、衝撃を受けながらも、なんとしてもその足跡を明らかにしようと決意します。「一体、娼婦の境涯にまで社会的に墜落してしまった女性が、評論家として再生するなどということがあり得るものだろうか」という一文は、現在なら大いに物議を醸しそうですが、実際に性産業の女性たちの経験を多く聞き取ってきた著者の紛れもない実感です。粘り強い取材で浮かび上がってきたわかの前半生は『サンダカン』二作に登場する女性たちと同じ、家族を支えるために少しでも高い報酬を望んで都会へ出たところでだまされて国外に売られたというものでした。そこから新聞記者・立井信三郎によって脱出することができたわかは、立井の死後、山田嘉吉と出会います。この2人の男性の、それぞれに独特な性格と動機が丁寧に描かれるのは、わかのその後の展開に「その身を<社会的>に救済してくれる施設とともに、その<人間>としての側面への添え木として、山田嘉吉のような<男性>の必要なことも事実」という著者の考察によるものでしょう。わかはその苦難の経験から母性保護運動に熱心で、らいてうや与謝野晶子が繰り広げた「母性保護論争」にも登場しましたが、後に国の「産めよ殖やせよ」に利用されてしまいました。そのため戦後は評論ではなく「幡ヶ谷女子学園」という、性産業をやめて生活を立て直そうとする女性のための施設に力を注ぎました。女性支援新法が思考されている今年、もっと注目されて良い女性ではないかと思います。
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