宮本常一と渋沢敬三 旅する巨人

文春文庫

佐野 眞一

2009年4月10日

文藝春秋

1,078円(税込)

人文・思想・社会 / 文庫

瀬戸内海の貧しい島で生まれ、日本列島を隅から隅まで旅し、柳田国男以来最大の業績を上げた民俗学者・宮本常一。パトロンとして、宮本を生涯支え続けた財界人・渋沢敬三。対照的な二人の三十年に及ぶ交流を描き、宮本民俗学の輝かしい業績に改めて光を当てた傑作評伝。第28回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

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(無題)

starstarstarstar 4.0 2018年01月28日

在野の民俗学者・宮本常一とその師匠にしてパトロン、渋沢敬三の評伝である。第28回(1997年) 大宅壮一ノンフィクション賞受賞。旅する民俗学者・宮本常一はただひたすら、歩く・見る・聞くを繰り返し、人々の生活を記録した。73年の生涯のうち、旅で暮らしたのが4000日。まさに「歩く巨人」だった。 宮本常一は明治40年、山口県の周防大島の貧しい農家に生まれた。苦学して天王寺師範の夜学を終了し小学校の教員になったのち、民俗学にめざめ、教師のかたわら土地の古老などから昔話の蒐集を始める。後に柳田国男の知遇を得、更に民俗学の大パトロンであった渋沢敬三の援助により、日本国内津々浦々を歩き回ることになる。 この作品の一方の主人公である渋沢敬三は、渋沢栄一の孫として生まれ、廃嫡された父に代わって渋沢家を継ぎ、後に日銀総裁、大蔵大臣にまでなる。渋沢は宮本が世俗的な学者になることを許さず、あたかも渋沢のデータマンとして宮本はひたすら自分の足で歩き、自分自身で学ばなければならなかった。宮本が文学博士となって渋沢家の食客から自立するのは、渋沢のなくなる二年前の昭和36年。宮本は既に54歳になっていた。武蔵野美術大学の非常勤教授となるのは更に3年後の昭和39年。渋沢の死の半年後である。 本書では宮本家三代(市五郎、善十郎、常一)と渋沢家三代(栄一、篤二、敬三)を比較しつつ時系列順に彼らの生涯を描いている。常一と敬三が祖父の世代からどのような愛情あるいは心理的圧力をもって育てられたかを見事に描き出している点が評価できよう。五章で常一が婚約者のアサ子に何通も送り続けた恋文の話などは彼が「やさしい」人間として育て上げられたことがにじみ出て来るようだ。そこに敬三は父篤二の優しさを見出していたと著者は断定している。 また、宮本と渋沢という超大物主人公二人の事跡が次から次に語られるので、ともすると話の筋を見失いかねない。それは例えば柳田国男の人格の問題であったり、渋沢一族の血脈の話題であったり、戦時中の民族学者、民俗学者の動きであったりする。 被差別部落出身の猿回し、村崎はテレビ出演するなどして今では有名人であるが、宮本の元に村崎が猿回し芸復活の相談に行ったところ、村崎の事を理解してくれそうな知識人を紹介した。その中に司馬遼太郎がいた。司馬が訪ねてきた村崎に、今西さんと宮本さんか、君も凄い人に見込まれたもんやな、日本の本当の学問はそのお二人の間にしかあらへんのやて、と言った後、宮本さんほど恐ろしい人をわしは知らん、とつぶやきながら、こんな話を始めた。小説家というもんは細部にこだわるもんや、大村益次郎が豆腐好きだったという事は誰でも知っとる。けれど、益次郎がどんな着物を着て、どんな箸を使って豆腐を食べていたかは誰も知らん。とはいっても、いい加減に書くことはできん。それを全部知っとるのが、宮本常一と言う人や。あの人はほんまに恐ろしい人や。 最後に渋沢敬三が心に染み入る言葉を残しているので、紹介しておきたい。 「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況をみていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落とされたものの中にこそ大切なものがある。それを見つけてゆくことだ。人の喜びを自分の本当に喜べるようになることだ。人がすぐれた仕事をしているとケチをつけるものも多いが、そういうことはどんな場合にもつつしまねばならぬ。また人の邪魔をしてはいけない。自分がその場で必要を認められないときは黙ってしかも人の気にならないようにそこにいることだ。」  

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