我、言挙げす

文春文庫

宇江佐 真理

2011年3月10日

文藝春秋

748円(税込)

小説・エッセイ / 文庫

晴れて番方若同心となった不破龍之進は、伊三次や朋輩達とともに江戸の町を奔走する。市中を騒がす奇矯な侍集団、不正を噂される隠密同心、失踪した大名家の姫君等々、自らの正義に殉じた人々の残像が、ひとつまたひとつと、龍之進の胸に刻まれてゆく。一方、お文はお座敷帰りに奇妙な辻占いと出会うが…。

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Readeeユーザー

(無題)

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2.5 2018年01月27日

伊佐次がガセネタをつかまされてドジを踏んだ尾張屋事件が解決した。本所無頼派とは全く無関係だった。伊三次は、猪牙舟の船頭倉吉を捕まえ、その口から尾張屋へ押し入ったのは、薩摩へこ組であることが判明する。へことは兵児帯のへこのことである。かつて薩摩藩は1,500人ほどの血気にはやる若者を集め、徒党を組ました。彼らが修行僧のように身を固く保ち、朝は書を読み、それから寝るまでは弓矢を射る訓練と剣術の訓練をする。命を惜しむことを恥と教えたものだから、そのほとんどが命知らずの連中となった。時代が変わり、奴らの行状がいささか狂気染みて感じられるようになり、時の藩主がへこ組みを禁止する沙汰を下したのだった。彼らへこ組は、これを面白くなく思い、世を拗ねて犯行に及んだのだった。 八丁堀純情派は成長し、後輩もできた。物語は彼らを中心に進行する。すっかり主役交代の趣であるが、彼らの父親の世代は、さすがに海千山千の歴戦のつわものである。良い味を出している。さて、古川喜六が結婚することになった。 嫁になる芳江の父帯刀清右衛門は、かつて上司の不正を暴こうとして失敗し、閑職に追いやられたのだった。龍之進は父にその経緯を尋ねると、不破は上司への諫言を「言挙げ」 という言葉を使って龍之進に大人の生き方をおしえるのだった。 「言挙げ」とは「言葉に出して言い立てること」で、『万葉集』の中にも「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」とあり、「言挙げ」しないことが美徳とされてきた。その背景には言霊思想があり、良い言葉を発すればよいことが起こり、悪い言葉を発すれば悪いことが起こるというように、現実に何らかの影響を与えると信じられていたからである。これは、現代の私たちにも「縁起でもないことを言うな」という形で色濃く残っている。

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