
げんげ 新・酔いどれ小籐次(十)
文春文庫
佐伯 泰英
2018年2月9日
文藝春秋
803円(税込)
小説・エッセイ / 文庫
小籐次、死す!? 久慈屋昌右衛門の供で伊勢詣でに行っていた小籐次が江戸に帰ってきた。昌右衛門は念願の伊勢参りと墓参を叶え、隠居する決意を固めたようだ。 そんな折、北町奉行所の年番与力の米郷が、小籐次にたっての願いがあるとして面会を求めてきた。 その晩遅く、久慈屋の荷運び頭の喜多造は酔って千鳥足の小籐次を見かける。天気が荒れているにもかかわらず、これから舟で望外川荘に帰るという小籐次を喜多造は止めるが、小籐次はそのまま堀へと消えていった。 ところが翌朝、小籐次が望外川荘に帰っていないことがわかる。そればかりか、小籐次の小舟だけが石川島の人足寄場に流れ着いており、小籐次の蓑や破れ笠も川で発見された。小籐次行方不明の報におりょうと駿太郎は半ば覚悟をし、また江戸中の人々も小籐次の死を受け入れ、久慈屋の店先で弔いをするに至った。 小籐次の行方不明と、年番与力・米郷の頼み事は関係があるのか、そして小籐次は本当に死んでしまったのか!? シリーズで最も緊迫した展開を迎える第10弾書き下ろし!
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(無題)
百万都市江戸の治安を一手に担ったのは、町奉行所であった。現代の警察と裁判所の役割を合わせ持っていた。奉行をトップに南北奉行所に25名ずつの与力、100名ずつの同心によって組織されていた。50万人の町人人口に対して南北合わせてわずか250人程度の陣容である。犯罪捜査などの警察業務にあたるのは、南北合わせて30名程度の同心であった。そんな少人数で治安が維持できるものであろうか。それを実現できたのは、一つには自治組織が高度に機能していたことが上げられる。 交番の元祖と云われる自身番は、町役人の一つである家主の事務所を兼ね、大きな町内では一つ、小さな町内では複数の町が共同で設置していた。夜は家主や当番の店子、雇い入れた者が詰めていた。次に各辻や長屋から表通りへの出入り口の脇に設置された木戸番には、町内で雇われた番太が住み込み、夜警の役割を果たしていた。薄給で内職をし、町内の雑用もこなした。これらは、いわば防犯組織と言えるが、一旦犯罪が発生した場合の捜査には同心があたった。当然、捜査陣容としては手薄なので定廻同心達は自腹で目明し(岡っ引き)を雇っていた。つまり◯◯の親分さんと呼ばれる目明しは、幕府正規の職員ではなかったのだった。一方、同心は自腹で目明しを雇えるほどの高給取りだったか、との疑問が生じるのも当然だ。同心は御目見得以下の御家人だから、そんなはずはない。では目明し雇用の財源はどのようにして賄ったのか。それは商家や町の有力者からの付け届けであった。万一、厄介ごとが生じた時には、利便はかってもらうためにひそかに金品を贈るのだから、有り体に言えば賂である。幕府もそれを黙認していたのである。行政コストを極力抑えて、治安を維持するシステムとして自然に出来上がったのだった。裁量行政の原点を見る思いもする。 物事を円滑に進めるための江戸人の知恵とも言えなくもないが、仮に付け届けが常識的な範囲を超えて、役人の側からそれを求めたとしたらどうなるのだろうか。成文化されずに暗黙の了解の元に運用されているシステムである。当然考えうることだ。今回、小藤次が立ち向かうのは、そんなシステムの綻びから生じた厄介ごとであった。
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