
超長寿社会で死ねない時代 安楽な最期の迎え方
島田裕巳
2020年5月30日
徳間書店
1,430円(税込)
人文・思想・社会 / 美容・暮らし・健康・料理
新型コロナ・ウイルスの感染が世界的に広がり、多くの感染者、死者を出しています。それは、社会全体に影響を与え、日常の生活を円滑に営めない状況にまで至っています。 外出もままならない状態のなかで、「コロナうつ(コロナ・ブルー)」といったことも叫ばれています。陰鬱な気分が世界全体を多い、出口のない不安が、人々のこころを蝕んでいます。世界中の人々が精神的にも追い込まれています。 さらには、経済の問題もあります。停滞した経済をこれからどうしていけばいいのか。政治家も専門家も、これまでに経験したことのない事態に戸惑い、的確な解決の糸口を見いだせていないようにも感じられます。 なにより、感染症の拡大は、私たちに、「死」ということをつきつけました。 平均寿命が伸び、人生一〇〇年時代と言われるほどの超長寿社会が訪れた日本で、私たちは次第に、自分たちが死ぬということを切実な問題として感じなくなってきたような気がします。 人がいつか死ぬのは絶対の真実です。死なない人はいません。 しかし、多くの人が長生きをするようになった現代では、死が自分の身近に迫っているという思いを抱くことはほとんどなくなってきました。癌でさえ、最近では不治の病ではなくなっています。 そこに、コロナ・ウイルスの流行という事態が起こり、私たちは改めて「死」に直面することになったのです。 「メメント・モリ」というラテン語がありますが、これは「死を忘れるな」を意味します。まさに今の私たちは、このことばの意味するところをかみしめているのではないでしょうか。 コロナ・ウイルスに感染して死にたくはない。 皆そう思っていることでしょう。 では、私たちはどのような死を理想と考えているのでしょうか。いかなる最期を迎えたいと思っているのでしょうか。 死は、いつ訪れるかわかりません。いきなりそれが訪れ、私たちの人生はそこで終わってしまうかもしれないのです。 それは理不尽だという思いが、私たちのなかにはあります。 人生の最期は自分で決めたい。 それは、「死ぬ自由」ということかもしれません。 私たちは、人類の長い歴史のなかで、さまざまな自由を勝ち取ってきました。死ぬ自由は、その最後の関門となった私たちに迫っています。 死ぬ自由ということで浮上してくるのが、「安楽死」という選択肢です。(本文より抜粋)
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