
天の光
徳間文庫
葉室麟
2016年12月2日
徳間書店
704円(税込)
小説・エッセイ / 文庫
柊清三郎は福岡藩の普請方の三男。十七歳で仏師の修行に入り、師匠の娘おゆきの婿に望まれた。しかし、仏性が見出せず、修行のため、三年間京に出る。戻ったとき、師匠は賊に殺され、妻は辱めを受け、行方不明に。妻のおゆきが豪商・伊藤小左衛門の世話になっていると判明し、お抱仏師に志願して、十一面観音菩薩像を彫った。しかし、抜け荷の咎で小左衛門が磔となり、おゆきも姫島に流罪になってしまう。清三郎はおゆきのため、姫島に渡ろうとして…。
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(無題)
この物語に「お家騒動」は絡まない。しかし、切ない夫婦愛はいつも通り葉室麟のお約束である。また、主人公は武家社会の管理体制の中で苦悩するわけではない。なぜなら武士の身分を捨てて仏師になったからだ。仏師は木彫を通じて仏法の世界に足を踏み入れることになる。それは、仏の実態とは何か、あるいは人間とは何か、と言った永遠の課題に迫ることである。その意味では「生きる意味」を見出そうと苦悩するのだから、いつもの葉室麟の世界より深みがあるのかもしれない。 木に仏性を見い出すことができれば、自然と優れた仏像を彫ることができる、と清三郎は師匠から教わった。ところが、どうあがいても木材に仏性を見いだすことができない清三郎であった。見たこともなければ、実態に触れたこともない仏を彫刻に表現するのを不可能と感じた清三郎は、生身の人間なら木彫に写す事が可能かもしれないと考えて、高僧をモデルとした仏像作りを目指す。修業のために師からの破門、妻との離縁を覚悟で京の都に登るのだった。ところが、それが波乱の始まりとは思いもしなかった清三郎であった。
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