江戸の非人頭車善七

河出文庫

塩見鮮一郎

2008年3月31日

河出書房新社

935円(税込)

人文・思想・社会 / 文庫

徳川幕府の江戸では、人別帳からはずれて路上にたむろする者を、非人に落として、弾左衛門の支配の下、四人の非人頭が管理した。浅草地区の非人頭車善七は、彼らに乞食、紙くず拾い、牢屋人足などをさせた。善七の居住地の謎、浅草溜、非人寄場、弾左衛門との確執、解放令以後の制度の解体と、非人たちの行方を探る。

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Readeeユーザー

(無題)

-- 2018年01月24日

江戸を地方の城下町から巨大都市へと大改造したのが徳川家康であったのは言うまでもありませんね。天下人となり、すでに戦乱の時代が去ったのを見極めた家康は、軍事拠点としての江戸城の拡張は一定程度に留め、山を削り、入江を埋め立てて町を広げ、家臣と町民の家屋敷を築く都市計画を推進しました。さらには、幕府の所在地として江戸の政治的重要性の高まりとともに、諸大名家の江戸屋敷も相次いで設けられました。江戸に居住する大名の家臣・家族や徳川氏の旗本・御家人、その家族が数多く居住するようになるとともに、駿府を始め各地から町人を呼び寄せて、町が急速に拡大していきました。この結果、人口は絶えず拡大を続け、大江戸八百八町といわれる世界有数の大都市へと発展を遂げたのでした。江戸の経済活動が活発になる一方で、膨大な人口が農村から江戸に流入し、様々な都市問題を引き起こすことにもなったのです。 活発な経済活動と爛熟した文化、都市には華やかな光の一方で必ず影の部分があります。影の部分はいつの時代も歴史の隅に追いやられ、キチンと記録されることすらありません。しかし人間が生きた証としての歴史を見るならば、光と影に等体重で両脚を置かなければ人間を見誤ることになりかねません。影の部分を黙殺したいと考えるのは政権担当者の常ですから、ウオッチャーでありたいと思う人にはこの点には特段の目配りが必要です。本書が取り上げた車善七は江戸という都市が必要とした汚れ役を一手に引き受けた人物であり、また本書は日本古来からの賎民とは一体何なのか問いかける書でもあります。 著者によれば江戸期の人々に車善七の名前は、「乞食の将軍」として広く知れ渡っていたそうです。僕は海外旅行で物乞いにしつこくまとわり付かれて閉口したことがありましたが、日本ではもう乞食は見かけませんね。実は物乞いは、日本では法律で禁止されているんですねー。江戸時代でも物乞いができるのは非人に限定されていました。これを「日勧進」と言います。勧進と言えば、歌舞伎18番でお馴染みの勧進帳を想い浮かべますよね。東大寺再建のための勧進で安宅の関を抜けようとする山伏姿の弁慶が、何も書かれてない勧進帳を朗々と読み上げるやつですよね。勧進とは、寺院の建立や修繕などのために、その費用を奉納させる事を言います。仏教本来の意味は人々に善行をさせるためのものでしたが、のちには寄付を集める方法として興行を催し、観覧料の収入をこれに当てることを言うようにもなりました。どうしてそんな変質があったかというと、勧進を担っていた僧侶の身分に原因があります。勧進僧の発生は平安時代末期に見られますが、当時の僧侶は全員が官僧です。いわば僧籍にある国家公務員といったところでしょうか。これに対して勧進聖は、正式の授戒を受けていない、私度僧です。勝手に僧侶の格好をしていたんですね。ですから、私度僧は社会的には一段低い者と見られ、次第に非人の仲間入りをしてしまったと考えられます。 もう一つの非人の生業が紙拾いでした。今で言えばチリ紙交換ですね。江戸の経済はGDP換算では対前年比0.1%程度の大変に低い経済成長率でした。ですから、富の分配という点からは期待できるレベルではありませんでしたが、一方では循環型のエコ経済が庶民の生活の隅々まで浸透した社会でもありました。非人が集めた紙屑は、落とし紙すなわちトイレットペーパーとして再生されていたのです。紙拾いは多くの場合清掃と一体の仕事ですので、結果として街並みを清潔に保つ役割も担っていたのでしょうね。 江戸時代に非人が果たした社会的役割には、犯罪人の処刑及び死体の処理がありました。本来は役人がすべき仕事ですが、日本人にとって死は古代から穢れを伴う事柄であり忌み嫌われてきました。葬祭や埋葬に従事するのは誰もが避けたいところですが、一方では誰かがしなければならない事柄です。この役割を担ったのが穢多・非人と言われる賎民でした。健全な社会を維持するための国家による強制的暴力、すなわち刑事罰の究極には極刑があり、その先には死体処刑があります。役人にとってはこれまた、逃げ出したい業務であり、穢多・非人に押し付けたのです。 さて、時代劇に登場する小伝馬町の牢獄は、未決囚の収容施設だったんですね。ですから刑が確定すれば死罪、あるいは島流しか所払いになります。それでは未決囚が病気になった時はどうしていたのでしょうか。善七に預けられたんですね。しかもそれがエスカレートして善七の「溜」は犯罪者の授産施設と化しました。このように、非人頭・善七は社会的地位は低くても大都市・江戸を裏側から支える大仕事を担ったのでした。

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