
人魚の眠る家
幻冬舎文庫
東野 圭吾
2018年5月30日
幻冬舎
869円(税込)
小説・エッセイ / 文庫
「娘の小学校受験が終わったら離婚する」。そう約束していた播磨和昌と薫子に突然の悲報が届く。娘がプールで溺れたー。病院で彼等を待っていたのは、“おそらく脳死”という残酷な現実。一旦は受け入れた二人だったが、娘との別れの直前に翻意。医師も驚く方法で娘との生活を続けることを決意する。狂気とも言える薫子の愛に周囲は翻弄されていく。
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【愛する人が目を覚まさないと知ったら・・・どうしますか】
心臓が動いているのに、脳が動いていない。心臓が止まるのは数時間後か数日後か数年後か…わかりません、どうしますか。ある日突然そう医師から告げられたら、困惑するだろう。心臓が動いているのに・・・と。 ある夫婦のもとに、小学校に上がる前の娘がプールで溺れたと、突然悲報が届いた。彼らを待っていたのは、「おそらく脳死」という曖昧で残酷な現実。脳死は脳死判定を二回おこなって、そこで初めて脳死となる。脳死判定とは、臓器を移植するために必要な判定だ。臓器を移植するには心臓が動いている状態で、臓器が生きている状態でないといけないらしい。脳波がなくなった時点で、臓器移植の意思があるかどうかを聞かれる。残された家族にはたまったものではないだろう。心臓が動いているのに、なぜ?まだ生きているのになぜ?と。 だから、運ばれた時点で脳波がなかった場合、医師は、「おそらく脳死」という表現しかできないのだ。二人は一旦死を受け入れたが、別れの直前に手が反射反応で動いたせいで、直前に翻意。「娘は生きています」と。最先端技術を採用し、医師も驚く方法で、娘との生活を続けることを決意する。狂気ともいえる深い深い愛情。最後には涙涙涙。ここまで愛された子供はきっと幸せな最後の時間を過ごしただろうと思う。それがどういう形でさえ。 一番心に刺さったのは、帯にもあるように、 「娘を殺したのは私でしょうか。」 と問う言葉。その言葉に答えられるのは、今の日本には誰も存在しないでしょう。法律自体があやふやなのだから。何をもって死なのか。深く考えさせられる一冊でした。
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