悪魔と裏切者
ルソーとヒューム
ちくま学芸文庫
山崎正一 / 串田孫一
2014年11月10日
筑摩書房
1,210円(税込)
人文・思想・社会 / 文庫
十八世紀の大思想家による伝説のケンカを、山崎・串田両氏が丹念な状況説明を付して再現。母国を追われたルソーをイギリスに温かく迎えたヒューム。しかし二人の友情はルソーの激しい思い込みからほどなくして破綻する。突然狂気に満ちた絶縁状を送りつけられたヒュームは、戸惑いつつも己の名声を守るべく、往復書簡に註を付して公刊。対するルソーは、自己の良心と真摯に向き合えば答えは明白との一点張り。近代哲学の二面性を、それぞれ別の方向から突き詰めた二人だからこそ起きた衝突。読んで大笑いするのも一興。しかしここには最も純粋な思想の言葉が満ち溢れている。
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(無題)
眠い。明日、感想は書き直すかも。 私はなんだかんだ息子と似ているし本質的にはルソーの立場。 濡れ鼠的な経験のあるものにしかルソーは理解できない。 ヒュームは善良でバランスよく折り合いのついた紳士の様に一見思われるが森鴎外の「かのように:」の主人公に通じるものがある。 形式の中でしか生きられないのだ。 窮地に立たされると世間(衆愚]を味方に取り込むなどやり方もフェアな男に見えてフェアではない。 ドストエフスキーの「未成年」でいうヴェルシーロフのような人間である。穏やかで生暖かい知性に包まれた虚栄心や優位に立ちたい誇り。 ルソーは、ヒュームのそのマウント取ったような時折垣間見せる冷徹な上から目線や悪意などはお見通しであった。(この視線はルソーの被害妄想でもなんでもないと思う。こんな顔をする人間を私も男女問わず数多見てきた。対人に最低限の礼節もわきまえず、人を小馬鹿にするような人間はやはり嫌な奴なのである)多少ルソーに作り話があったとしても、やはりどことなく出生のこともあり、貴族世界に属する慇懃なヒュームとルソーは相入れないし折り合いなどもつかないだろう。 ルソーは孤独である。しかし情愛がある。そして熱量がある。 ヒュームの目的ある偽善的な庇護や援護より、友情が欲しかったと書いてある。切なかった。 ルソーはカトリックからもプロテスタントからもまた王侯貴族や将軍と言った権威からも迫害や追放の憂き目に遭い、そして正論正義をふりかざした村人からも子供を捨てたというかどで、石を投げられる羽目になる。 確かに世の中は、ヒュームの合理的で産業革命以降の実利や効率に根ざした思想が市井の人間を助けるところは大いにある。ヒュームは懐疑的な思想も持つが必ずこちらに帰ってくるらしい。イギリス人だからだろうか?それをますらおぶりと評しているのも面白かった。 しかし人間の思想の根幹のところでどちらかにつくとならば私はルソーに肩入れする。合理性やニヒリスト、教会の権威下に存在するキリスト教、そして私には今ひとつ理解出来ないフイロソフィストなどよりも、全人類に等しく光を照らす良心に則った自然は純粋普遍であり偉大なり。そして自然は深淵なり。 この本を読んでヒュームではなくルソーに共感を得ることこそが多少本を読んだり学問をしているもののインテリジェンスなのではないだろうか。
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