子どもと創る「国語の授業」2020年 No69

全国国語授業研究会 / 筑波大学附属小学校国語教育研究部

2020年9月2日

東洋館出版社

850円(税込)

人文・思想・社会

〈提起文より〉 特集:学習の「めあて」再考ー子どもに「なぜ」が生まれる瞬間ー 国語の授業が始まった。 「今日のめあてを書きましょう。」 と教師が示し、本時のめあてを板書する。学習の目的や方向性を示し、授業の見通しを子どもにもたせるためにも「めあて」は必要である。 昨今では、子どもの学び方、教師の指導の「標準化」を図ることを目的として、多くの学校現場で「授業スタンダード」が盛んに取り組まれている。そこで徹底して行われていることの一つに「めあて、まとめ、振り返り」のある板書の徹底がある。所によっては、この「めあて」を授業の始めに絶対に書きなさいと指導されているところもあると聞く。 しかし、授業では、教師がめあてを最初に示すことではなく、めあてが子どものものになる瞬間を、教師が生み出すことの方が大切なのではないか。 標準化を目的として、「型」を作って示すのはよいにせよ、それが形骸化してしまうのではないかと危惧している。「型」を成長させていくには、問題点の整理が必要である。そこで、本号では「めあて」に焦点化し、『子どもに「なぜ?」が生まれる瞬間』に着目する。 国語の授業に限らず、学校教育はただ知識や技能の定着だけを追い求めているのではない。「どうしてそうなるのだろう?」という理由までも含めた理解、「どのようにすればいいだろう?」という理解に至るまでの過程を大事にしなければならない。 だからこそ、子どもに生まれる「なぜ?」という問いや、その問いに対して解決していこうと学びを進める姿勢そのものを大事にしたい。 しかし、それは単純に教師が発問として「なぜ?」「どうして?」と子どもに一方的に問えばいいというものでもない。子どもにとって、問いそのものが必然的で解決したいと感じるものだからこそ、そこに考える意味がある。 では、子どもに「なぜ?」が生まれる瞬間を生み出すために、教師のどのような働きかけが必要か、また、子どもの問いに応えていく、教師の役割はどうあるべきなのか。 本誌が、国語授業をかえるきっかけの一冊になることを願い、今回は国語科だけに限らず、他教科の立場からもそれぞれ論じていただいた。(白坂洋一)

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