
日本美術の冒険者
チャールズ・ラング・フリーアの生涯
中野 明
2021年6月22日
日経BP 日本経済新聞出版本部
3,850円(税込)
人文・思想・社会 / ホビー・スポーツ・美術
琳派、北斎の肉筆浮世絵……世界屈指の2000点の日本美術を蒐集した米国人の初の日本での評伝。美への情熱と生々しいディールに息を呑む。 米国ワシントンDCのスミソニアン博物館群の中に、1923年、米国初の国立美術館として開館したフリーア美術館がある。収蔵作品の目玉は、約2000点の日本美術では、葛飾北斎をはじめとする肉筆浮世絵コレクションと俵屋宗達、尾形光琳を中心とした琳派コレクション。しかし所蔵品は寄贈者の遺言により「アメリカ国民にアジアの文化を紹介して正しい理解を促す」ことを目的に広く公衆に開放するが、外部への貸し出しを禁じ、現在も門外不出。日本人には知る人ぞ知る美術館である。 海外に流出した日本美術の収蔵館として広く知られるのは、フェノロサと岡倉天心が深く関わったボストン美術館だろう。同時代のたったひとりの寄贈者のコレクションであるところがフリーア美術館の特徴だ。本書はフリーア美術館協力、コレクションの寄贈者であるチャールズ・ラング・フリーアの初の日本での評伝である。 南北戦争後の「金ピカ時代」、空前の鉄道建設ブームに乗り巨万の富を築き、世界漫遊旅行に出て日本を訪れ、その後、日本美術の蒐集に没頭する。蒐集期間は日清・日露戦争から第一次世界大戦の間という、日本が列強の仲間入りをした頃。もちろん美を集めるには金が要る。本書の読みどころのひとつは残された記録によって、どれほどの金がどのように動いたかが生々しく記されているところである。明治に日本美術を救ったといわれるフェノロサが商売人として才覚を発揮しているところも興味深い。 日本人の蒐集家では財界人として、世界初の総合商社「旧三井物産」を設立し、日本経済新聞の前身「中外物価新報」創刊者としても知られる益田孝と、横浜・本牧の三溪園で知られる原富太郎との行き来も粋人同士の交流として目を引く。彼らの蒐集品は没後散逸したものも多い。貴重な日本美術コレクションが海の向こうでそのまま1世紀生き残った記録として、読み応えのある書だ。 序章 謎の人物チャールズ・ラング・フリーア 1 美に目覚めた実業家 2 世界漫遊家が日本を行く 3 日本美術のとりこになる 4 ビングとフェノロサ 5 コレクションの寄贈 6 原富太郎との友情 7 益田孝との確執 8 中近東から中近東からエジプト、中国へ 9 フリーアの晩年 終章 死と再生
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