ヤマト王権と十大豪族の正体
物部、蘇我、大伴、出雲国造家…
PHP文庫
関裕二
2013年8月1日
PHP研究所
712円(税込)
人文・思想・社会 / 文庫
物部、蘇我、尾張ーこれら古代豪族は天皇家と血縁を結び、ヤマト黎明期には自身が王となりヤマトを統治した。この事実に驚く読者も多いだろう。古代においては、天皇と臣下という現在のイメージとは違い、彼らと天皇家が同等の権威を兼ね備え、共同でヤマトを治めていたのだ。本書は、有力豪族と天皇家の系譜を読み解き、隠されたヤマト建国の真相を探る一冊。日本誕生の謎に迫る!
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(無題)
この題名と著者の名前から本の内容を推測する事は、十分に可能ですね。日本史の教科書に書かれたことと真向から対立する内容で、キット朝鮮半島がらみの記述があることでしょう。著者は読者を裏切りませんでした。全く期待通りの記述がありました。中臣鎌足は百済の王子豊璋だった説です。 中臣鎌足は古代史において謎の多い人物です。その出自もハッキリせず、悪党蘇我入鹿を殺害した英雄として記憶する向きも多いでしょう。 中臣鎌足は中大兄皇子の側近として活躍していましたが、中大兄皇子は反蘇我派、百済派の皇族で当時政権を掌握していた蘇我氏の反勢力として政権を狙っていました。本書はまず、中臣鎌足英雄説から疑ってかかります。教科書は日本書紀をベースに書かれていますが、そもそも日本書紀は歴史の勝者・藤原氏が編集したので、 自分達に不利な部分は隠蔽しています。つまり、中臣鎌足は、実は危険極まりないテロリストだったにもかかわらず、藤原氏の正統性を強調するあまり、歴史が書き換えられた、というのです。 さて、話を本筋に戻して、中臣鎌足=豊璋説の根拠について、著者は第一に白村江の戦いの不自然さを挙げます。まず中大兄皇子は勝つ見込みのない戦争をなぜはじめたか、との疑問が生じます。それは百済王子豊璋の言いなりになったにしても、白村江の戦いに参戦していた時に、肝心の、腹心の部下の藤原鎌足は、一体どこで何をしていたのか、日本書紀では言及を避けているようです。この謎は、藤原鎌足と百済王子豊璋が同一人物であるならば、一挙に霧散します。 次には、突然降って湧いたように歴史に姿を現した中臣鎌足が天皇家を見下したような態度を見せる不自然さを上げます。蘇我入鹿の暗殺シーンでは、中大兄皇子が先頭に立ち中臣鎌足が背後から指揮している奇妙さです。最も危険な場所に皇位継承候補の中大兄皇子がいて、最も安全な場所に中臣鎌足が立っているのはなぜか、これも百済王子豊璋ならば、日本に人質・兼・客分として滞在していた外国王族であり、身分が高いので、不思議はありません。 このように本書の論旨は、推論による仮説から成り立っていますが、歴史を大いなるロマンとして愉しむには、それも良しでしょう。
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