集団的自衛権の深層

平凡社新書

松竹伸幸

2013年9月17日

平凡社

814円(税込)

人文・思想・社会 / 新書

二〇一三年七月の参院選勝利後、安倍政権は、集団的自衛権の行使容認に動くことを明言した。しかし歴史を繙けば、集団的自衛権は、数々の侵略、勢力圏争いの口実として利用されてきたことがわかる。憲法九条を有名無実化してしまうこの大問題に、私たちは、どう向き合っていけばいいのか?集団的自衛権は、自明でも当然の権利でもない。過去の事例を精査しながら、改正派の虚構の論理をあばく!

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Readeeユーザー

(無題)

starstarstar 3.0 2018年01月27日

自国と密接な関係にある同盟国が武力攻撃を受けた場合、自国が直接、攻撃されていなくても実力で阻止する権利のことを集団的自衛権といいます。これは、国連憲章51条で加盟国に認められている権利です。ところが我が憲法9条では「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と明記しています。このため、政府は「集団的自衛権を有していることは国際法上、当然だ」としながらも、「憲法9条で許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲」として、集団的自衛権の行使は、これを超えるため、行使できないとの解釈をとってきました。 ところが安倍政権は発足当初から、集団的自衛権の行使容認に動くことを明言したのでした。しかもそれは憲法解釈の変更で可能であるとしたのでした。これはあまりに乱暴な政治判断であります。この問題に憲法改正が必要なことは、誰が考えても当然のことです。憲法改正の争点として国民的議論が戦わされ、きちんとした法手続きを踏んで憲法を改正すべきです。そもそも憲法解釈が今日と明日で変わり、恣意的に見直されるのはどう考えてもおかしいことです。それを認めれば、法治国家でなくなると言っても過言ではありません。 戦後我が国の安全保障は、アメリカによって担われてきました。この結果、我が国が軍事行動をとることについて国民は、長い間思考停止に陥ってきました。つまり集団的自衛権と言ってもピンとこないのです。自民党防衛族の代議士が我が国の現状が世界の常識から、いかにかけ離れているかを嘆くとナイーブに信じ込んでしまうのです。例えば、自衛隊がPKOで海外に派兵されたとします。仲間の他国兵士が攻撃を受けた場合に、自衛隊員は集団的自衛権を行使出来ないので他国兵士を護るために攻撃出来ない、と説明します。ところがこの説明は、欺瞞に満ちており、集団的自衛権の議論をミスリードます。この場合はPKOの活動であって、集団的自衛権とは無関係ですよね。この代議士が不勉強なのか、意識的に混同しているのかは不明ですが、こんな風に言われると、国民は「それはおかしい」と感じてしまいますね。 本書は、そもそも集団的自衛権とは何か、を明確にして議論の整理を行います。また、戦後世界で集団的自衛権が行使された実例を上げて、それが全て違法であったことを明らかにします。また、国際法では集団的自衛権を固有の権利とは認めないのが大勢であると述べています。最後集団的自衛権を巡って焦点になっているのは、日本への武力攻撃とは直接に関係しない世界の紛争をどう捉え、日本は何をするのかと言う点です。日本の国際貢献と言う分野の問題について、政府自民党は集団的自衛権の行使と言う結論を導きだしました。筆者はこれを否とします。 そして、自衛隊に求められるのは、武力紛争の当事者の間に非武装・丸腰で割って入り停戦を実現し監視することだと、提言します。しかし、国際紛争が武力によって支配されている現実の前では、いささか理想論に過ぎるのではないかと思われます。

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