
一遍 捨聖の思想(851)
桜井 哲夫
2017年8月16日
平凡社
946円(税込)
人文・思想・社会 / 新書
《目次》 はじめに 第一章 浄土教のルーツを求めて 浄土教の歴史/「阿弥陀仏」の原語と起源/「極楽浄土」の観念 中国における浄土教の誕生/日本浄土教の源流「善導流」/異端としての善導 第二章 日本における浄土教の展開 日本への仏教伝来/仏教の広がり/「浄土の教え」の始まり/平安の浄土教 源信と『往生要集』/院政期の浄土教/聖と沙弥の念仏/法然──比叡山黒谷から 専修念仏と法難/「革命」としての法然浄土教/浄土教の広がり/難問としての親鸞 玉日と恵信尼/親鸞思想の核心 第三章 一遍と時衆 伊予松山の武将・河野通広の次男/十一不二の頌/熊野成道 六十万人頌・六字無生の頌/踊り念仏/時衆・時宗/鎌倉へ・京へ/一遍の死 二祖他阿弥陀仏真教/真教の遊行/知識帰命/遊行の相続/組織者・真教 真教以後の時衆教団/時衆諸派/時衆の社会的活動とその文化──陣僧/葬送 遊行上人尊観・徳阿弥と客僚・客寮/時衆と同朋衆・芸能者 第四章 「一遍上人語録』を読む 一 『一遍上人語録』の成立 二 身を観ずれば水の泡──別願和讃 三 独むまれて独死す──百利口語 四 身命を惜しまず 本願に帰入し──誓願偈文 五 一切の事を捨てゝ申念仏こそ──消息法語 「捨ててこそ」/「出離の要道」 六 となふれば仏もわれもなかりけり──偈頌和歌 七 門人伝説 三心といふは名号なり──『語録下二』 今の名号は能所一体の法なり──『語録下七』 念仏が念仏を申なり──『語録下十六』 自力他力は初門の事なり──『語録下十八』 称名の外に見仏を求べからず──『語録下三十五』 我等は下根の者なれば、一切を捨ずば──『語録下四十四』 有心は生死の道、無心は涅槃の域なり──『語録下六十』 念仏の下地をつくる事なかれ──『語録下六十九』 まよひも一念なり、さとりも一念なり──『語録下七十三』 名号は義によらず心によらざる法──『語録下八十三』 知りて知らざれ、還て愚痴なれ──『語録下八十七』 法師のあとは、跡なきを跡とす──『語録下九十八』 あとがき 参考文献一覧
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(無題)
古都鎌倉観光となると、やはり寺社巡りになろうか。鎌倉市に隣接する藤沢市の目玉は江ノ島である。もちろん江ノ島神社が鎮座するが、どちらかと言うと物見遊山の観光地的イメージが強い。かつて江ノ島は大山詣での精進落としの役割を担っていたためもあろうか。そんな藤沢の地には時宗の総本山遊行寺がある。箱根駅伝では復路の難所、遊行寺坂でお馴染みである。この遊行寺、時宗四代の呑海が実兄である相模国俣野荘の地頭・俣野五郎景平に寄進を受け隠棲の寺として藤沢山清浄光院を開いたのが基と伝えられる。藤沢市民として、時宗や一遍上人について一通りの知識は身につけて当然との思いで本書を紐解いた次第である。 ところが、一遍上人の項にたどり着くまでには、本書の半ばまで読み進めなくてはならない。その間に何が書かれているかといえば、阿弥陀仏信仰の源流を論じるところから始まり、中国・日本浄土教の流れを俯瞰しているのである。だから、浄土教の入門書といっても良い内容だ。それでは浄土思想、念仏思想とはどのようなものなのかが理解できたかと問われれば、これが全く分からないのである。
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