
乱読のセレンディピティ
思いがけないことを発見するための読書術
外山滋比古
2014年4月30日
扶桑社
1,012円(税込)
人文・思想・社会
一般に、乱読は速読である。それを粗雑な読みのように考えるのは偏見である。ゆっくり読んだのではとり逃すものを、風のように速く読むものが、案外、得るところが大きいということもあろう。乱読の効用である。本の数が少なく、貴重で手に入りにくかった時代に、精読が称揚されるのは自然で妥当である。しかし、いまは違う。本はあふれるように多いのに、読む時間が少ない。そういう状況においてこそ、乱読の価値を見出さなくてはならない。本が読まれなくなった、本ばなれがすすんでいるといわれる近年、乱読のよさに気づくこと自体が、セレンディピティであると言ってもよい。積極的な乱読は、従来の読書ではまれにしか見られなかったセレンディピティがかなり多くおこるのではないか。それが、この本の考えである。
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(無題)
中国人は大昔、耳の方が目よりも高度の知性を育むことを知っていたようである。聡明。聡は耳の賢さであり、明は目の賢さであるが、順位は、聡、つまり耳の方が上である。そういうことばを移入させておきながら、日本人は耳を軽んじて、耳でする勉強を耳学問などと言っておとしめたのである。(P.160) 朝早起きして皇居まで電車で行って散歩する。
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