ヴィータ
遺棄された者たちの生
ジョアオ・ビール / トルベン・エスケロゥ / 桑島薫 / 水野友美子
2019年3月23日
みすず書房
5,500円(税込)
人文・思想・社会
ブラジル南部の保護施設「ヴィータ」--そこは行き場をなくした薬物依存症患者・精神病患者・高齢者が死を待つだけの場所だった。 現地で調査中だった著者は1997年にそこで精神病とみなされていたカタリナという女性に出会う。「言葉を忘れないために」と言って詩のような言葉を書き続ける彼女は何者で、なぜヴィータに収容されたのか。それを探るうちに、新自由主義の影響のもと、国家・経済・医療・家族の網の目のなかで、生産性という基準で人間を選別し、遺棄する現実が明らかになっていく。著者の粘り強い調査のすえカタリナの真の病名に辿りついた時、彼女の綴った言葉の意味は明らかになり、尊厳は回復される。 周縁化された人々の生きられた経験を復元し更新し続けるために、現代において人類学の果たすべき使命は何かを問い直す話題作。本書は、マーガレット・ミード賞ほか数々の賞を受賞した。 はじめに 「生きているのに死んでいるーー外は死んでいるけれど、内は生きている」 第一部 ヴィータ 社会の遺棄地帯 ブラジル 「市民」なるもの 第二部 カタリナと文字 精神の生活 身体の社会 不平等 元・人間 家とけもの 「愛は遺棄された者たちの幻」 社会的精神病 時間の病気 神、セックス、主体性(エージェンシー) 第三部 医療記録 公的な精神医療 典型的な患者としてのカタリナの生 民主化と健康の権利 経済的変化と精神疾患 医学 人生の終わり 声 ケアと排除 移住とモデル政策 女性、貧困、社会的死 「わたしは人生のせいでこうなった」 症状の意味 薬を与えられるだけの存在 第四部 家族 つながり 運動失調症 カタリナの家 弟たち 子どもたち、義理の両親、元夫 養父母 「わたしの身体は薬のためにある、わたしの身体が」 日々の暴力 第五部 生物学と倫理 痛み 人権 価値判断 遺伝子発現と社会的遺棄 家系 遺伝学的な集団 失われたチャンス 第六部 辞書 「その下にはこれがあった、わたしが名づけを引き受けようとせぬもの」 第1巻/第2巻/第3巻/第4巻/第5巻/第6巻/第7巻/第8巻/第9巻/第10巻/第11巻/第12巻/第13巻/第14巻/第15巻/第16巻/第17巻/第18巻/第19巻 おわりに 「言葉への道」 後記 「わたしは始まりの一部、言葉だけじゃなく、人びとの」 あとがき ヴィータへの回帰 2013年版への謝辞 謝辞 原注 訳注 訳者あとがき 参考文献 索引
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