
アウシュヴィッツ潜入記
収容者番号4859
ヴィトルト・ピレツキ / 杉浦茂樹
2020年8月19日
みすず書房
4,950円(税込)
人文・思想・社会
ナチス・ドイツの攻撃でワルシャワが陥落したのは1939年9月。そのちょうど1年後、ワルシャワの路上で兵士も市民も無差別に逮捕される一斉取り締まりで、ポーランド軍将校ピレツキは意図的に捕まってアウシュヴィッツに送られた。 当時ロンドンのポーランド亡命政府は、新設のこの収容所の目的を探っていた。志願したピレツキの主な任務は、収容所の実態を外部に流し、同国人の収容者仲間を密かに組織して武装蜂起に備えることだった。 ピレツキの情報は翌年初頭から連合軍に届き始める。まずポーランド人政治犯の処刑、独ソ戦が始まるとソ連軍捕虜の大量処刑、さらにユダヤ人の「最終処分」のニュースは、他のルートに先駆けて伝えられた。 収監から3年近く、ピレツキは自らも飢餓、チフス、拷問に耐えながら任務を全うしようとするが、武装蜂起は軍上層部の反対で実現しない。彼はついに見切りをつけ、二人の仲間と脱走した。 本書は1945年に軍の上司に宛てて書かれた最終報告書である。ピレツキ自身は、祖国がソ連の影響下に入ると反ソ地下抵抗運動に参加し、1948年、一党独裁体制を強めた自国の共産主義政権に逮捕され、拷問・処刑された。 長らくポーランド語のタイプ原稿のまま埋もれていたこの報告書が英訳され、はじめて出版されたのは2012年である。貴重な写真多数を含む。 はじめに (ノーマン・デイヴィス) 序文 (マイケル・シュードリッフ: ポーランド・ラビ長) 英訳者のノート/発行者のノート/報告書の主なできごと/歴史的背景 ペウチンスキ将軍宛てのピレツキ大尉の添え状 ピレツキ大尉の1945年アウシュヴィッツ報告書 訳者あとがき 付録 (1)アウシュヴィッツにおけるドイツ語の職務と階級 (2)暗号で言及されている人物・地名 (3)「報告書」関連年表 索引
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