
開かれた社会とその敵 第2部
予言の大潮ーヘーゲル,マルクスとその余波
カール ポパー / 内田 詔夫 / 小河原 誠
1980年1月1日
未来社
4,620円(税込)
人文・思想・社会
文明そのものと同じくらい古く、同じくらい新しい全体主義的志向の現れをヘーゲル、マルクスの歴史決定論に捉え批判した大著。 目次 第二部 予言の大潮ーーヘーゲル、マルクスとその余波 神託的哲学の勃興 第一一章 ヘーゲル主義のアリストテレス的根源 第一二章 ヘーゲルと新たな部族主義 マルクスの方法 第一三章 マルクスの社会学的決定論 第一四章 社会学の自律 第一五章 経済学的歴史信仰 第一六章 階級 第一七章 法体系と社会体制 マルクスの予言 第一八章 社会主義の到来 第一九章 社会革命 第二〇章 資本主義とその運命 第二一章 予言の評価 マルクスの倫理学 第二二章 歴史信仰の道徳論 余波 第二三章 知識社会学 第二四章 神託的哲学と理性への叛逆 結論 第二五章 歴史は何か意味を持っているか 註 人名索引 目次 第二部 予言の大潮ーーヘーゲル、マルクスとその余波 神託的哲学の勃興 第一一章 ヘーゲル主義のアリストテレス的根源 第一二章 ヘーゲルと新たな部族主義 マルクスの方法 第一三章 マルクスの社会学的決定論 第一四章 社会学の自律 第一五章 経済学的歴史信仰 第一六章 階級 第一七章 法体系と社会体制 マルクスの予言 第一八章 社会主義の到来 第一九章 社会革命 第二〇章 資本主義とその運命 第二一章 予言の評価 マルクスの倫理学 第二二章 歴史信仰の道徳論 余波 第二三章 知識社会学 第二四章 神託的哲学と理性への叛逆 結論 第二五章 歴史は何か意味を持っているか 註 人名索引
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[private] 20170211メモが長くて後半が消えていたので分割して再入力. p.323 「 [傍点→]社会学的法則[←傍点]、あまつさえ進歩の問題に関する社会学的法則さえ存在しうる。例えば、思想や思想伝達の自由が、法的諸制度や、討論の公共性を保障(ママ)する諸制度によって効果的に保護されている限り、科学の進歩があるだろう、という仮説である (第二三章を参照せよ)。しかし、[傍点→]歴史法則[←傍点]については全く語らない方がましだという見解を持つことには多くの理由がある (第二五章の註(7)、および本文を参照せよ)。」 p.336 「または、発表した情報の信憑性を可能な限り確かめる義務を行った出版者には生じた損害の責任をとらせる、この場合では新規の選挙の費用の責任をとらせる、という法律によって、おそらく統制することができるであろう。」 これはネットデマの現在でも通用するかも. p.340 「それゆえ、正気の政治の第二の原則は、 (ウィーンの詩人兼批評家K・クラウスが述べたように) [傍点→]あらゆる政治はより小さな悪を選択することにある[←傍点]、ということであろう。」 ポパーがクラウスを引いているのに注目.このクラウスの引用だが、「大きな悪と小さな悪のどちらかを選ばなければならないとき、私はどちらも選ばない」ではなかったか? p.343 「(15) F・A・フォン・ハイエクは」計画経済を批判するが「しかし彼はまた[傍点→]自由のための計画[←傍点]が必要であることを力説する。」 「彼の「計画」の概念は断固として[傍点→]集団主義的[←傍点]かつ[傍点→]全体論的[←傍点]であるから、それは自由ではなく独裁制を導かざるをえない、と私は確信している。」 ここはポパーのハイエク批判. p.344 「(20) 中部ヨーロッパにおけるマルクス主義運動は歴史上ほとんど先例のないものであった。それは無神論を告白していた事実にもかかわらず、まことに偉大な宗教的運動と呼ぶことのできる運動であった (おそらく、マルクス主義をまじめに受けとらない若干の知識人はこのことに違和感を覚えるかもしれない)。もちろん、それは様々な意味で集団主義的な、あまつさえ部族主義的な運動であった。しかしそれは、労働者がその偉大な課題のために自分自身を教育し、自分自身を解放し、自らの関心事と娯楽の水準を高め、アルコールの代わりに登山、スイングの代わりにクラシック音楽、スリラーものの代わりに生まじめな書物を置き換えようとする運動であった。」 宮澤賢治の農民芸術を思い出す. p.345 「歴史の恐ろしい諸事件と戦う代わりにそれらを解釈するというこの欺瞞的な術策は、 (本章の註(4)で言及した) 詩人、K・クラウスによって強く否定された。」 p.364 「(1) 「公認キリスト教」に対するキルケゴールの闘争については、特に彼の書、 Buch der Richter, 1905 (hg. von Gottsched) を参照せよ。」 キルケゴールまで読んでいる. pp.365-366 精神分析的方法とウィトゲンシュタインの方法の類似についてのウィズダムの言及について 「「『[改頁]私は他人が何を感じているのかを決して知りえはしない』といった疑いは、こうした源の一つ以上のものから生じてこよう。懐疑的徴候のこうした過度の規定はそれらの治療を複雑にする。(……)」」 「(「知る」という言葉を通常の意味で用いるならば、われわれは言うまでもなく他人が何を感じているのかを決して知りえはしない、と私は註釈しておける。われわれは、他人が感じていることについては仮説を作りうるのみである。これがいわゆる問題を解決するのである。)」 私的感覚の問題についてのウィトゲンシュタインの解決とポパーの解決の違い. p.368 「 「批判的」合理主義と「無批判的」合理主義との区別に関連して、ドゥンス・スコトゥスの教説もカントの教説も「批判的合理主義」に接近しているものとして解釈しうる、と指摘できよう (私が念頭に置いているのは、非合理な決定の優位として解釈されうる「意志の優位」という彼らの学説である)。」 p.381 「(1) いわゆる規約主義者たち (H・ポアンカレ、P・デュエム、つい最近では、A・エディントン)、第五章の註(17)を参照せよ。」 「(5) 一切の前提を回避するという試みに関しては、第二四章註(8)(1)と本文での (フッサール) 批判を参照せよ。前提 (もしくは観点) の回避が可能であるという素朴な考えは、H・ゴンペルツによって、別の仕方で攻撃された 」 [/private]
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