
精神分析という語らい
藤山直樹
2011年11月30日
岩崎学術出版社
3,630円(税込)
人文・思想・社会 / 医学・薬学・看護学・歯科学
●この本の構成をあらかじめ読者諸氏に明らかにしておこう。この本は四つの部分に分かれている。四つの部分それぞれも、そして各章も基本的に独立しているから、読者諸氏はこの本をどこからお読みになってもいいのだが、第 IV 部だけはちょっと性格が違う気もするので、最後に読まれた方がよいかも知れない。 ◇第 I 部は、「精神分析概念との語らい」と題されている。精神分析のいくつかの概念と正面切ってまみえた語らいの記録である。ひとつの概念と深く語らうと、自分の精神分析全体とのつながりが変化し、自分にとっての精神分析が変形される。自分にとっての精神分析をそのようにして不断に改訂され、新しくかたちづくられる。そのような運動がなくなってしまえば、精神分析は自分のなかで死に絶えてしまうのだろう。そのような作業を人生を通して行なったのがフロイトである。彼ほどの高みに到達することは難しくても、私たちが精神分析と真に交われば、彼と同じような作業に従事することは避けられない。そうなると私たちは先達としてのフロイトと語らいたくなる。 ◇第 II 部は「フロイトとの語らい」として、フロイトの初期の仕事と晩年の仕事の二つを素材に彼と語らった。けっして彼の論文や仕事と語らおうとしたのではない。あくまで私は彼と語らおうとした。精神分析が患者の話を聴くものではなく、患者を聴くものであるように、私はフロイトを聴き、何かを語ろうとしたのである。日本で精神分析をやっている以上、私は日本の先達のことを常に意識してきた。とくにオリジナルなアイデアによって精神分析という文化に貢献した、土居健郎と北山修は、自分が彼らとかなり近いところにいた時期があったこともあって、最も気になる存在であった。私は彼らの概念に絶えず関心を向け、何かを考えてきた。「日本の精神分析との語らい」と名付けられた第 III 部はその成果である。私が彼らのようなオリジナルなアイデアを生み出すことはおそらくないだろう。ただ、彼らと語らうこと、その語らいを形にすることは、精神分析を豊かにするのではないかと思うのである。 ◇さて第 IV 部は「精神分析というできごととの語らい」と題した。夢見ること、非対称性、劇的瞬間といった分析実践の本質に存在するものについて触れた論考を集めた。この第4部はある意味準備的な仕事であり、私が今後精神分析という営み、できごとにさらに深く触れるための基本的観点を準備する予告編の趣がある。ここに展開されている論は未熟で粗削りではあるが、予告編をいずれ本編に仕上げて皆様にお目にかけられればよいと思っている。 (まえがきより抜粋) ●目次 まえがき 第 I 部 精神分析概念との語らい 第1章 エディプスのとば口 第2章 ナルシシズムと心的な死 第3章 「超自我」再考 第 II 部 フロイトとの語らい 第4章 鼠男の治療記録──フロイトの悲劇 第5章 フロイトの疚しさ──「終わりある分析と終わりなき分析」にみるフロイトの限界 第 III 部 日本の精神分析との語らい 第6章 「『自分』と『甘え』」再考 第7章 「甘え」理論の対象関係論的含蓄 第8章 「見るなの禁止」とは何か 第 IV 部 精神分析というできごととの語らい 第9章 夢みることと精神分析 第10章 精神分析の非対称性について──ウィニコットの視点から 第11章 「劇的瞬間」と「精神分析的瞬間」
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