我、過てり

仁木英之

2020年12月15日

角川春樹事務所

1,760円(税込)

小説・エッセイ

信玄に三連勝! 東北最大勢力に! 歌舞伎になった豪傑! 鎮西一と称される! ……なのに、何故!? 命を賭けた戦場だからこそ際立つ、 一度は栄華を極めた者たちの『しくじり』。 いったいどこで選択を誤ったのか。 そしてそこからの決死の挽回術とはーー。 この教訓に、心震わさずにはいられない。 ・「天敵」対武田信玄ーー村上義清 ・「独眼竜点睛を欠く」対豊臣秀吉ーー伊達政宗 ・「土竜の剣」対大坂の陣ーー薄田兼相 ・「撓まず屈せず」対徳川家康ーー立花宗茂 強大な敵を前に、一度は勝利を掴んだはずの彼らは何を過ったのかーー。 しかし同時にそれは、しくじりから教訓を得た彼らの再起への道程でもあった。 戦国を照らす光と闇は、現代を生きる我々にも通じる教科書だ。

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戦国時代の名将たちが実際に犯したしくじりから学ぶ教訓とは。

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4.2 2021年01月05日

本作は、一度は名将と呼ばれた者たちが、その人生において犯した一番大きな過ちを犯した出来事をベースに短編4編でつづる作品。各話ともに、「過ち」を犯すまでの順風満帆にその名を高めていくフェーズと、「過ちを犯す」フェーズ、そしてその「過ち」から学ぶフェーズとなっており、非常に読みやすい構成となっている。 個人的に一番好みなのは、第二話「独眼竜点睛を欠く」。伊達と秀吉の読み合い頭脳戦が面白い。そのほか、第四話「撓まず屈せず」における誾千代の解釈も面白く、短編ながら非常に読み応えのある作品だ。 また、どの作品からも教訓として、ぴったりの言葉が浮かんでくる。この辺りも自分なりに考えながら読むと、一層読み応えのある作品となるのではないだろうか。 ▼概要 第一話「天敵」 主人公:村上義清 主な時代:1548(天文17)年〜1573(元亀4)年 主な登場地域:信濃北部 第二話「独眼竜点睛を欠く」 主人公:伊達政宗 主な時代:1587(天正15)年〜1590(天正18)年 主な登場地域:米沢以南の南奥 第三話「土竜の剣」 主人公:薄田兼相(岩見重太郎) 主な時代:1587(天正15)年〜1615(慶長20)年 主な登場地域:伊予(愛媛)、深志(南信濃)、大坂 第四話「撓まず屈せず」 主人公:立花宗茂 主な時代:1586(天正14)年〜1607(慶長7)年 主な登場地域:柳川(福岡)、朝鮮、京都 ▼内容について 第一話「天敵」 武田信玄による北信侵攻に立ち向かう村上義清を主人公とした作品。 この作品の教訓は、個人的にはこれではないかと。「勝って兜の緒を締めよ」 義清は、寡兵ながら武田の兵を2度も3度もはね返すほどの戦上手であった。だからこそ、P43「戦になれば負けはせぬ。」と日々を過ごしていた。だが、なぜか、武田は負けるたびに味方を増やし、自身は勝つたびに味方を失っていく。 この武田晴信(信玄)という人物は、 P62「人が休む時に動く。考えぬ時に考える。そして人が何を欲しているかをつきとめ、それを餌にして吊り上げる。」のだった。 つまり、戦になれば負けはせぬ、されど戦にならぬことを武田信玄派していたのだった。もちろん義清側も、これにいつまでも気付かなかったわけではない。ただ、動かなかったのだ。 それは、戦になれば負けはせぬという自負があったからだった。 その義清は死の直前に息子にこう言い残す。 P72「戦場での勝ちに目を眩まされるな。勝ちに執着するでない。相手の息の根を止めぬ限り、何も終わっていないのだ。」 第二話「独眼竜点睛を欠く」 伊達政宗による豊臣公儀への臣従プロセスを描いた作品。教訓もだが、政宗と秀吉の頭脳戦がひりひりするシーンが見どころだ。 この作品の教訓は、改めて書くまでもない「画竜点睛を欠く」であろう。 P82「奥羽のことは奥羽の者で始末をつけよう」と意気込み、秀吉による惣無事を無視し続けた政宗。北・南に敵を抱えながらも、その才覚で領土を広げ、伊達家は奥羽でも有数の大大名に成長する。 しかし、そんな折に、無視し続けてきた豊臣公儀からの惣無事に対する対応を求められた。そう彼は、その若さゆえに時勢を、秀吉という人物の器を疎んじすぎていたのだ。 P103「付け城の普請一つをとっても、そこに「天下」がある。その惣無事を成し遂げるためにどう振る舞うべきか。敬愛する武田信玄に匹敵、いやはるかに上回る器量だった。そこを見誤った。」 その後、秀吉との会話の中で、彼は自分自身が豊臣公儀の中で、いかに使える男であるかを 示していかねばならなかった。 その他、第三話「土竜の剣」では、大坂夏の陣で大失態を犯し「橙武者」(華やかだが中身のない)と揶揄された薄田兼相を主人公に、「中身が伴っていない人間の愚かさ(有名無実・舌先三寸といったところだろうか)」を教えてくれる。 P177「俺は光の下で生きる術を知らぬ。将足りえず、臣足りえず。土竜の剣で満足していれば、このように死地に立つことはなく、天下一の「匹夫」として生を全うできたかもしれぬ。だが、天道の下でふるう武の爽快さを知ってしまったのだ。華やかに戦った散るのがしくじりなら、俺はそれでいい。」 第四話「撓まず屈せず」では、秀吉より鎮西一の豪勇と称賛されながらも時勢ではなく忠義を貫いたことにより西軍についてしまったことで、改易を経験した立花宗茂を主人公に、その妻誾千代との会話から「本質を見失ってはならないこと」を教訓として、教えてくれる。 P219「どの一戦、どの決戦も後で悔いるということはない。信じる「義」に従って最善を尽くしてきた。だがそれは、誰かに仕える、尽くすという「忠義」に変わっていなかったか。家を守り、士民を守るため、父たちが貫いた「節義」をいつしか見失っていなかったか……。」 また、どの作品も短い短編ながらも、このしくじりとは別の見どころである、歴史の解釈もい逃せない。 第四次川中島の合戦で信玄は茶臼山にいた、葛西大崎一揆は政宗が扇動したものではなかった、薄田兼相が岩見重太郎の時に倒した狒々とは外国人の騎士であった、立花の義とは主家への忠義ではなく立花家を守ることであったなど、歴史小説では定番と言われるような部分にもメスが入っている。 おそらく各話の中には、「中心となる教訓」がありながらも、「サブ的な教訓」も混じっているはずである。一つの失敗談から導ける教訓は一つではない。 歴史に詳しくない方はその教訓をいくつ抜き出せるか、歴史小説をよく読む方は、いつもと違う定説を、ぜひお楽しみいただきたい。

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