夏天の虹
みをつくし料理帖
ハルキ文庫
高田郁
2012年3月31日
角川春樹事務所
680円(税込)
小説・エッセイ / 文庫
想いびとである小松原と添う道か、料理人として生きる道か…澪は、決して交わることのない道の上で悩み苦しんでいた。「つる家」で料理を旨そうに頬張るお客や、料理をつくり、供する自身の姿を思い浮かべる澪。天空に浮かぶ心星を見つめる澪の心には、決して譲れない辿り着きたい道が、はっきりと見えていた。そして澪は、自身の揺るがない決意を小松原に伝えることにー(第一話「冬の雲雀」)。その他、表題作「夏天の虹」を含む全四篇。大好評「みをつくし料理帖」シリーズ、“悲涙”の第七弾。
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(無題)
澪は愛しい人と添い遂げる事より、料理人として生きる道を選んだ。後始末はすべて小野寺が悪役となってくれた。季節は押し詰まりつつあった。師走にはあの料理番付が発表になる。ある時、澪はとんでもない事に思い当たった。その時から食事は喉を通らなくなるし、夜は寝られなくなった。運命の日が訪れた。料理番付の発表である。つる家は関脇はおろか番付から姿を消していた。理由は明らかである。この一年、創作料理を作り出していなかったからだ。 こうして澪の新しい挑戦が始まった。 試行錯誤の末に生まれたのが「牡蠣の宝船」である。今では想像もつかないが、江戸前の牡蠣があったのだ。むしろ牡蠣はアサリと並んで深川の名物であった。「深川めし」は、ざっくりと切った葱と生のあさりを味噌で煮込んで熱いご飯にぶっかけた、漁師の知恵の一品である。こちらは今に伝わるので、アサリの深川名物は承知していたが、牡蠣は知らなかった。牡蠣は生食も美味いが、旨味がぎゅっと凝縮した焼き牡蠣が一番だ。この当時の江戸っ子の人気も焼き牡蠣だったようだ。ただの焼き牡蠣では面白く無い。そこで澪の工夫が生きる。初めは奉書焼きを真似てみたが、上質な和紙を使わない限り紙が燃えて、焦げ臭くて食べられたものではない。日高コンブを水につけて戻し、柔らかくなったところで舟の形にし、その中に牡蠣をいれて蒸しあげる料理が完成した。 牡蠣の季節が過ぎ、花々が一斉に咲き誇る頃、澪は臭覚と味覚を失った。料理人としては致命的だ。原因は心因性のもののようだが、治癒の見込みは全く立たない。そこでつる家の店主は、吉原の翁屋に頼み込んで又次を借り受けることにした。こうして鰹の時期を乗り切ったつる家であったが、借りた又次は返さなくてはならない。約束の日、吉原に戻る又次に大惨事が待ち受けていた。同時に澪には吉事となった。
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