病いは物語である

文化精神医学という問い

江口 重幸

2019年11月30日

金剛出版

5,720円(税込)

医学・薬学・看護学・歯科学

なぜ臨床場面に民族誌(エスノグラフィー)が必要なのか? 著者は文化精神医学や医療人類学の方法論を精神科の日々の臨床にいかに蘇生させるかということを,ライフワークにしてきた。本論集はその集大成ともいうべき労作である。 かつてA・クラインマンは,台湾をフィールドとする著作のなかで,憑依状態で治療にあたる現地の童乩(タンキー)を,癒しにおいて間違いなく西洋医にまさるものと結論づけた。ここで作動しているローカルな知を現代医療において生かす方法は何かと著者は問う。現代精神医療の変容(「大きな物語の終焉」),物語論の始原へと遡るジャネの心的治療論,民俗学への架橋,そして医療自身のもつ文化をたどりながら,読者は対話場面で偶発的に溢れるように語りだされる患者や家族の「もう一つの物語」を聴くことになるだろう。 精神療法は文化とどこで出会うのか? 心的治療の多様性とは? 臨床民族誌という方法を理論にとどまらず身体技法として身につけるにはどうしたらよいか?……本書(本論集)はこれらを模索する試みである。 ■序編ー治療における物語と対話 「大きな物語の終焉」以降の精神医学・医療の現在 病いは物語であるー「大きな物語の終焉」以降の精神医学・医療の現在 文化精神医学が問うものー医療人類学の視点から ■第1部 文化精神医学の方法論 精神療法は文化とどこで出会うのか 文化を臨床の中心に据えるために・再論 心理療法の歴史をたどり直す 冥婚考 臨床になぜ「文化」という視点が必要なのかー文化精神医学再考 文化を掘り下げるー土居健郎の著作を再読する ■第2部 臨床におけるエスノグラフィー 病の経験を聴くー医療人類学の系譜とナラティヴ・アプローチ 臨床の記述と語り 精神科臨床になぜエスノグラフィーが必要なのか 臨床場面における物語と声ージャネの「想話機能」を手がかりに ジャネと解離 「非定型精神病」の小民族誌ー病いはいかに語られ,いかに聞きとられるか 病いの経験とライフヒストリーー精神科コンサルテーションにおける末期患者の聞き取りから(1) 病いの経験とライフヒストリーー精神科コンサルテーションにおける末期患者の聞き取りから(2) ■第3部 現代精神科臨床の変容と文化精神医学の視点 精神科の敷居は低くなったかー精神科受診と「治療文化」の変容 障害・疾患・症状の呼称と翻訳をめぐる問題点ー精神科用語検討委員会における議論を踏まえて グローバルな製薬企業と精神科臨床 グローバルな製薬企業と精神科臨床・再考 日常臨床で自分に言いきかせていること 付論:コラム 仕事は楽しく 「言葉をしみじみと言う」から「病棟を耕す」まで 展望:精神医学の二〇年後 ピケティを誤読する おくればせの歓迎のことば あとがき

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