
邪馬台国時代の王国群と纒向王宮
石野 博信
2019年3月29日
新泉社
2,750円(税込)
人文・思想・社会
3世紀の都市・纒向遺跡が出現した時代、列島各地はどのようであったのか。奈良県の二上山博物館で17回にわたって開催された邪馬台国シンポジウムの資料集に寄せた論考を中心に、各地域の遺跡をとりあげ、その交流関係をさぐり、あらためて邪馬台国の問題に迫る。 はしがき 1 邪馬台国時代の王国群 1 倭人は文字を使っていた 2 三、四世紀の祭殿─家屋文鏡の世界 3 近畿勢力はどうやって大陸や半島と交易したのか 4 住居からわかる海洋民の西部瀬戸内への進出 5 阿波・讃岐・播磨の連合はあったか 6 ホケノ山古墳の大壺は何に利用されたのか 7 二、三世紀の筑紫と大和を結ぶ太平洋航路 8 三世紀の大和と吉備の関係は? 9 三世紀の三角関係─出雲・吉備・大和 10 丹・但・摂の紀年銘鏡 11 卑弥呼擁立を図った祭場か?─伊勢遺跡 12 独自の文化圏を保った近江 13 二世紀の東海の祭祀 14 二、三世紀の東海と近畿 15 角丸戦争のゆくえ 16 二、三世紀の日本海と甲斐・信濃 17 三、四世紀の会津と大和 18 土器のみち 19 三、四世紀の豪族居館 20 墳墓の伝播 附 対馬国と一支国への旅 2 纒向王宮への道のり 纒向遺跡は邪馬台国の候補地となるか 纒向王宮への道のり
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