大連・空白の六百日

戦後,そこで何が起ったか

富永 孝子

1999年8月1日

新評論

3,850円(税込)

小説・エッセイ / 人文・思想・社会

マスコミ40紙誌にて書評絶賛。読者の反響700余通。 話題の大作、待望の改訂復刻!  なぜ、どうして……  私の後半生のテーマは、この疑問を解くことだった。  1945年8月15日、旧日本の植民地大連市で敗戦に遭遇した私は12歳。日本統治が崩壊と抑圧されてきた中国市民の暴動は当然としても、ソ連軍進駐とその暴虐による混乱、米・ソの確執事件、国共入り乱れての市政府設立、左翼系日本人による日本人労働組合の日本人統轄とその結果、国共内戦激化で食糧危機とインフレ、家財は奪われ6歳の妹もふくめ一家総出で働く生活にのしかかる市政府公償等の強制割り当て、そして引揚。  40年後の1986年、やっとその疑問に迫り、本書を刊行することができた。  つまり、ソ連軍政下、新中国建設の胎動期の大連を舞台に「日本人少女T」がおとなに脱皮、社会主義体制下で600日を生き抜く希有の体験記である。  刊行後、各新聞、週刊誌に一斉に書評紹介記事が掲載され、読者カードやメッセージは700余通。中・米・独・南米からも寄せられ、「なぜ、どうして、がやっと氷解した」というのが最も多く、研究者からも注目されたことは望外の喜びだった。  それから13年経った今回、今まで寄せられた多くの読者の情報や中国からの新資料、誤記の指摘をもとに16項目の補記を加え、改訂新版が出せる幸運に恵まれた。  刊行当時、大連に住む中国人学生からのメッセージには「私たちも知らなかった歴史のひと駒」とあった。甥は「僕と同じ齢に伯母様やオヤジはこんな体験をして生き抜いてきたのか」と沈黙した。転勤中の父親と共に大連に住み、中国人の高校に通うひとりの日本人少女は、大連を再訪した私に「とても感動しました。私は日本に帰らず中国で大学に行き、日中のかけ橋となる仕事に就きます」と頬を紅潮させた。  豊かな自然に恵まれた大連は多くの国の人びとに愛されるふしぎな魅力を持っている。特に日本人の想い入れは深く熱い。日中の2世、3世はごく日常的に個人レベルで交流し合っており、それがやがて日中友好の大きなうねりとなることだろう。  今年は大連市政100年。万歳大連!! (とみなが・たかこ)

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