本当は恐ろしい江戸時代

SB新書

八幡和郎

2009年4月30日

SBクリエイティブ

803円(税込)

人文・思想・社会 / 新書

「人と人とのやさしい心遣いの表現である江戸しぐさ」が公共広告で紹介されたり、「江戸時代はエコロジー社会だった」という見直しがされたりと、江戸時代をあたかもユートピアであるかのように思わせる風潮がある。でも、ホントにそんなにいい時代だったのか、いささか美化しすぎではないだろうか…。実はこんな一面もあった、こんなに住みにくく、生きづらい世の中でもあったという観点から、江戸時代のもうひとつの実像をあぶり出す。歴史マニアも目からウロコの、びっくりエピソードが盛りだくさん。

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3.6 2018年01月26日

本書は実にショッキングな内容を持った本である。著者は「はじめに」で江戸時代を現代の北朝鮮になぞらえるのであるから、読者の驚愕度は第一級である。現代の私たちにとって時代劇といえば、概ね江戸時代であり、平和で治安も良く物質的には豊かではなかったが、安心・安全で満足度の高い社会を思い描くものだ。ところが著者によると、北朝鮮と江戸時代の類似点として、世襲の権力による支配、対外的に閉鎖された鎖国体制、それに伴うものの徹底した再利用、密告による体制維等々を挙げている。 チョット待って貰いたい、いかに江戸時代とはいえ、日本人が築いた国家は世界から「ならず者国家」と呼ばれたり、国民の犠牲の上に成り立つ独裁国家とは違う、との読者の叫びが聞こえてきそうである。著者はさらに両体制の類似点に自由がないところと世界や人類の進歩の成果を享受できないところを挙げる。何より両者の頂点に立つのはどちらも「将軍さま」である事への指摘は皮肉に満ちているばかりでなく、読者に挑戦的でさえある。 拉致と言う名の国家犯罪の被害にあった我が国にあって、北朝鮮国家の消滅を願うのは大多数の国民の素朴な感情である。世界の警察官アメリカによる国家転覆を願ったりもしたが、米国はそれをしなかった。何故なら政府系シンクタンクが北朝鮮の自然消滅を予測していたからだ。また、金正日の死亡に伴う国家崩壊に希望を見出したりもしたが、これも期待外れであった。金正恩への権力承継も無事に済み、国家崩壊の兆しはこれっぽっちも見当たらない。この事実から分かるのは、北朝鮮は国家の名の下に独裁政権が国民を支配する「強権国家」では必ずしもない、と言うことだ。独裁者のみならず、支配層の中に現体制の維持を望む勢力が一定以上存在するし、彼らにとっては独裁者・金正恩の存在は望ましいものでもあるのだった。ここまでは当然の事であるが、恐ろしいのは被支配者層、一般の国民の中に現体制を歓迎する気持ちがあることだ。 著者のこの指摘は実に鋭い。「世の中には、貧しくて自由がなくても、安定し、停滞的な社会が好もしいと考える堕落した人たちが必ずいる。そんな彼らが力を持つと社会の活力が失われ、国は破滅に追い込まれていく。もし彼らのペテン師的な言説に騙されてしまったら、日本人は北朝鮮のような“地上の楽園”に生きることになるに違いない」と述べる。これを現代の保守的で安定した社会や人々の気分を批判した言葉とすれば、時代小説のぬるま湯のような世界に心地よさを感じている僕に反省を求めているようだ。

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