
広告でいちばん大切なこと
クロード・C.ホプキンス / 伊東奈美子
2006年11月30日
翔泳社
1,980円(税込)
ビジネス・経済・就職
広告のパイオニアホプキンスにとって「いちばん大切なこと」はなんだったのか?本書は世界3大広告人のひとりでもある、デイヴィッド・オグルヴィが最大のリスペクトを寄せるホプキンスの自伝である。広告人として一生をまっとうした仕事術の集大成が現代によみがえる。
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(無題)
この分野で他人の2倍働いたのが、私の唯一の功績かもしれない。 この人はめちゃくちゃ頭が良くて真摯で謙虚で努力家で徹底的に行動もする、調査もする。小さな間違いを何度も犯し、そのすべてから学ぶことで、大成功を収めることができた。同じ間違いを自動化した事は無い。その過程で、私は広告の重要な原則を少しずつ発見していった。 成功に至る道は庶民の中にしかない。 お金がない人が求めるものは「上流階級」が使っているものなのだ。低賃金の仕事についているのにもかかわらず、高給取りよりもずっと無駄遣いにこだわらない人が多い。節約になると言う理由で商品を進めれば自尊心を傷つけられたと感じて反感を買うだろう。費用にこだわらない消費者を想定した顧客を作れば彼らの関心を引くことができる。 広告に微分は必要ない。個性的な文体は読み手の注意を商品から逸らす。ものを売ろうとする努力は、それが露骨なものである限り、回転の抵抗招く。言葉巧みに説得すれば、消費者は丸め込まれるのではないかと不安になる。メリットやサービスより他の商品を売り込む力が身に付く広告は失敗する。広告は自然で単純なものであるべきだ。奇抜な言葉を使うべきではない。魚を釣る時と同様に、消費者をする時も釣り針を隠そう。自分の能力をひけらかさない。広告が得るものは商品であり、自分自身ではない。自慢話をしない。文章はできるだけ短くして、すべての言葉が誠実な響きを持つようにする。サービスの提供に専念しよう。それ以外の目的にスペースや金を費やしてはならない。自分の利益はきれいさっぱり忘れて、商品に興味を持ち、広告を読もうとしている消費者をイメージしよう。広告に浮ついたおしゃべりは必要ない。ユーモアも同様だ。一般に、ものを買うと言うのは真剣な行為である。人々は価格に見合う価値を求めている。同じ金額を別の用途に使った場合よりも多くの価値を手に入れたいと願っている。十分な金を持っている人などほとんどいない。 上野服装のセールスマンからものを買おうとする人はいない。見栄えの良い広告を使うことで売り上げが伸びたと言う話を聞いたことがない。ただ読み手を警戒させるだけだ。 広告は商品の特徴を語り尽くすべきだ。読み手の関心を引くことができたら、その時にすべての主張を伝えよう。 大げさな表現は相手にされない。世界最高といっても読み手は何の印象も受けない。これはありがちな主張だからだ。天下の逸品、史上最高傑作といった表現は苦笑を誘っても、怒りを買う事は無いかもしれないが、広告主のすべての発言を割り引いて考えるようになる。それに対して実際の数字は明確な事実は文字通りのものとして受け取られる。 右足を少し変えただけで、コップに対する反応は8針も10倍にもなった。どれを読むかは見出しで決める。 広告に気をつけ見出しを比較する。それ以外の方法は無駄が多い。広告に気をつけてみればそれはすぐに証明できる。 何人もの大学卒業者が口を揃えて格調の高い文章をかけますと自慢するが、文章の拡張を理解できる庶民はほとんどいない。だから広告代理店には向かない。人々が売り手に言いくるめられていることを恐れている。個性的な文体は疑惑を呼び起こし、肋骨の振り込みは抵抗招き、上からの目線は反感を買い、命令は総スカンを食うのだ。 広告代理店は常に多数の感覚を持つ人材を集めている。学歴は文学的要素は必要ない。こういったものは簡単に補足できるからだ。 広告における大きな過ちは、自慢と利己心である。利己的な主張は抵抗に合う。顧客の要望を第一に考えているように見せれば、客は胸を出してやってくる。どんなサービスを提供するのかを語れば人々は耳を傾けてくれるだろう。しかし、自分の優位を見せつけようとすれば、人々はそっぽを向く。広告費用の90%は、利己的な目的を測れ様にしたために失われていると考えている。 類似品にご注意ください、本物を求めください、これは外ではなく私に金をよこせと訴えているに過ぎない。このような訴えには何の効果もない。 格調高い広告、正統派の広告、作家気取りの美文の広告といったものは、利益を生み出さなければ無用の長物である。 広告を作るなら、魅力的なものにしたいと考えるのが普通だ。しかし、広告は人々を楽しませるためのものではない。広告はなるべく低コストで商品を売るためのものなのだ。 一時の注目を浴びたものは消え去った。しかし、具体的な結果を出すことのできるものは、いつまでも魅力を失うことはない。 実際の売り上げ以外のものを追求するのは、広告を道楽と考えている者くらいだ。 人々は顔の見えない企業より、何らかの偉業と結びついている個人を相手にしたいと考えている。 広告の原則の一つ、具体的な情報を提供する。陳腐な言葉や一般論は読み手に何の印象も与えない。消費者が「世界最高」「長期的にみれば最安値」「最も経済的」といった文句に説得されることはない。こうした言葉は嘘ではなく単なる誇張と受け取られる。人々は企業のすべての主張を割り引いて考えるようになってしまう。一方、広告に具体的で明確な主張、実際の数字や事実を記載すると、それは熟考され、測定された結果とみなされる。 群集心理も有効。 広告は紙のセールスマンだ。普通のセールスマンと何ら変わるところはない。個性的な文体は障害だ。広告の主役である商品から注意をそらすものは何であれ、広告の印象を弱めてしまう。美しい広告だ、写真は完璧だし表現も素晴らしい、しかし、このように感じること自体が広告の影響力を弱めている。こうした広告は誠実さに欠ける。売ろうとする努力を示している。自分の金が狙われているのに、身構えない人間がいるだろうか。ものを売る方法はただ1つ、それが卓越したサービスを提供していると言う印象を何らかの方法で相手に植え付けることである。稚拙な方法で構わない。人間らしい方法を使って庶民の心の琴線に振れるのだ。 広告は自社でやらない方が良い。企業は自分たちに関心がある。しかし広告の専門家が消費者を研究し、消費者が知りたいと思ってることを調べ尽くす。 自分のために特別に用意されたものには人々は敬意を払う。 正確な数値は説得力があり、他の商品も同じような性能をっていても優位な立場に立てる。 人間は問題を解決するためならなんでもするが、予防のためには勧められてもほとんど何もしないと言う性質がある。予防訴える広告が庶民の心をつかむ事はまずない。予防しないと罰があると言う話を聞きたい人もいない。 デザートの広告で無料進呈と呼びかければたくさんの反応があるが、衛生に関わる商品では無料だとむしろ安っぽく見えてしまう。
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