
近代西本願寺を支えた在家信者
評伝 松田甚左衛門
中西 直樹
2017年9月19日
法藏館
2,090円(税込)
人文・思想・社会
西本願寺が近代化のなかで失ったものとはーー 廃仏毀釈などの厳しい外圧にさらされた西本願寺を、様々な側面から支え続け、「本山のために終始一日の如く尽されたる」と称賛された在家信者・松田甚左衛門。 近代化を進める西本願寺において、多大な功績を残しながらも、なぜ彼はその歴史に埋もれてしまったのか。 これまで開明的な歴史が中心に描かれてきた近代仏教のイメージを大きく覆し、「在家信者」というこれまでに無かった視角から、近代仏教とは何か? 仏教の近代化とは何か? 仏教教団が近代化のなかで失ったものは何か? を改めて問い直す。 話題の「近代仏教」の歴史に一石を投じた意欲作! 【松田甚左衛門とは?】 近代初頭、19世紀後半の激動期の西本願寺を支え続けた在家信者。その活動は、幕末の西本願寺による御所警固への参加、維新混乱期の地方門末への使者としての活動、大谷本廟・築地別院の再建や大教校本館の建設、豊岡説教所や築地別院での布教活動や自身が組織した「弘教講」を通じての護法活動など多岐に亘る。 教団の混乱収束後も、活発な文書伝道を行い、女性教化・少年教化などの各種教化事業を手がけ、顕道学校・顕道女学院(京都女子大学の前身校)を設立するなど様々な側面から教団発展を支えたが、最終的には本山との訣別を宣言する。本山との訣別ののちは、自身の信仰のために生き、「顕道会館」(現在の京都教務所)を設立し、「民衆仏教」「在家真宗」を標榜して、在家者自身が布教主体となることを高らかに宣言するに至る。 【本書のポイント】 ・西本願寺が近代化する過程において、重要な位置にあった在家信者の動向にはじめて焦点を当てる。 ・島地黙雷・井上円了・清沢満之といった近代知識人としても名高い僧侶たちの思想などとは全く異なる新しい視角から「近代仏教」の歴史に迫り、新しい歴史像を示唆する。
close

ログイン
Readeeのメインアカウントで
ログインしてください
Readeeへの新規登録は
アプリからお願いします
- Webからの新規登録はできません。
- Facebook、Twitterでのログイ
ンは準備中で、現在ご利用できませ
ん。
X

LINE
楽天ブックスサイト
楽天ブックスアプリ




みんなのレビュー