本能寺の変四二七年目の真実
明智憲三郎
2009年3月31日
プレジデント社
1,676円(税込)
人文・思想・社会
光秀の謀反、あの「怨恨説」は本当なのか!?信長は、なぜ、あれほど無防備だった!?家康の奇怪な行動、その裏には何が!?秀吉の「中国大返し」、大成功の不可解!?光秀の子孫が解き明かす「本能寺」の謎、驚愕の真実。
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(無題)
一族の利益のためには手段を選ばず、謀略の限りを尽くして勢力を拡大したのが戦国武将である。本書ではそんな時代の英雄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が生き生きと描き出されている。本能寺の変の中心人物は、勿論明智光秀である。巷間、光秀の単独行動とみられてきた本能寺の変には、討たれた信長を始め、家康、秀吉がそれぞれ一枚噛んでいた謀略があったとしたら、今まで歴史の謎とされてきたことが一挙に明らかになるのである。 そもそも初めに信長による天下布武の総仕上げ計画があった。それは、織田一族による支配体制の確立と中国大陸への侵攻作戦だった。そのためには、目の上のタンコブ・家康を除く事が先ず望まれた。信長は本能寺に家康を呼び出し、光秀に暗殺を命じたのだった。信長の野望を完成させては土岐一族の未来はないと、信長暗殺の機会を狙っていた光秀に千載一遇のチャンスが訪れた。これが、本能寺の変であった。 それにしても家康は、こんな危険な誘いによくものこのこと出かけていったものだ、との疑問は当然だ。もしも、家康はこれが信長の仕掛けた罠だと知っていたとしたら、どうだろう。しかも、それを知らせたのが光秀で、2人の間に信長討ちの密約が交わされていたとしたら、家康の落ち着きぶりも納得がいく。家康はこのどさくさに紛れて甲斐、信濃の二国を手中にしているのだから、したたかである。 さらに残された秀吉もこの策謀を事前に知らされていたとしたら、毛利との敏速な和睦や備中松山城からの疾風怒濤の帰還も頷ける。秀吉にこの情報をもたらしたのは、光秀の元主君・細川藤孝である。一連の騒動ののち、天下人となった秀吉の細川家への厚遇ぶりからも藤孝の動きは納得できる。 歴史は時の権力者に都合良く改ざんされるのが常である。行間を読み込んでいかなければ、時として騙される事があるので肝に銘じなくてはならない。
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