
ロンドン日本人村を作った男
謎の興行師タナカー・ブヒクロサン1839-94
小山騰
2015年8月21日
藤原書店
3,960円(税込)
人文・思想・社会
幕末・明治初期の「ジャポニスム」の裏面史に迫る 幕末・明治初期の混乱の中、領事館通訳、見世物興行師、そして1885年「日本人村」の仕掛け人として暗躍した謎のオランダ人ブヒクロサンとは? 史料を博捜してその正体に初めて迫り、「見世物」というジャポニスムの裏面と、そこからの脱却を悲願とした十九世紀日本の自画像を読み取る。 ■タナカー・ブヒクロサンとは? 1839年オランダ・アムステルダムに生まれる。本名フレデリック・ブレックマン。世界を放浪の後、1859年長崎に来航。英国公使館・フランス公使館で通訳に雇われる。下関事件の交渉(1861年)や横浜鎖港談判使節団(1864年)にも通訳として陪席するが、フランスからの軍艦購入代金を幕府から搾取して通訳をクビになる。自分で商社を起こすも、支払いを踏み倒して投獄される。サンフランシスコに逃亡したが、折しも同地で公演され、注目を集め始めていた日本の軽業見世物に着目、1867年、自らの一座を立ち上げてサンフランシスコで公演、さらに米国内や英国、オーストラリアなど、各地で公演を行なう。この頃からタナカー・ブヒクロサンという日本人的な名前を自称し始める。 1873年頃から「ジャパン・エンターテイメント」を提唱、単なる軽業・演芸の興行のみならず、日本の家屋や屋台村を設営し日本の物産の販売や工芸の実演を行なう総合的興行へと発展させていく。 1885年、その集大成としてロンドンに「日本人村」を開業、4か月で25万人の来場者を集め大盛況となるも、わずか4か月後に焼失。再開後は人気が低迷し、「日本人村」を売却、以後は英国各地を巡業し、1894年にロンドン近郊で没した。
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